2023年6月15日木曜日

 2023年5月7日(日)第 1主日

ルカ 16章1~8節

 主イエスのたとえにお金の話が出てきます。当時のユダヤ人の硬貨はレプタとシュケルです。偶像やローマ皇帝のデザインが施されていなかったのでエルサレム神殿の献金はこの硬貨でした。レプタ1枚を献金した婦人の硬貨は最小単位の青銅貨です。イスカリオテのユダはイエスを売った代価として銀貨30枚(シュケル硬貨)を受け取りました。後に神殿に投げ込みましたがその硬貨は「血の代価」として除外されました。価値は銀の相場で決定されたとしても、神の義と言う規準が厳然と存在しています。

 放蕩息子に登場する息子は、盗みという不正はしませんでしたが、財産を快楽のためだけに使い果たしました。ついには豚の餌を恵んでもらいたいと願い、物乞い以下にまで身を落としました。

 主イエスのたとえには、その続きがあります。お金を不正に使い込んでいたひとりの管理人がいました。ご主人の財産を無駄遣いしていました。隠れた罪は発覚し、神の義によって不正が明らかにされる時が間近に迫りました。その時、不正な管理人は悔い改めて謝罪するどころか、ご主人が得るはずの財産を失うようにしてしまいます。ご主人の債務者たちを呼んで、油や小麦の売掛金を大幅に値引きました。仕入れ数量を油百バテから50に、小麦百コルを80にと証文を書きかえさせたのです。

 放蕩息子と不正な管理人に共通するのは、第1に、授かった財産を乱費し、天の父である神に罪を犯した者が赦されただけでなく、咎めもせずむしろ評価されている点です。

 両者の異なる点は、放蕩息子は苦難の日に助けてくれる友が一人もいませんでした。しかし、真に悔い改めて、そのままで父のもとにかえり救いを得ました。他方管理人は罪の悔い改めが見られません。しかし、「賢く行動する」とほめられたのは、ご主人の富で自分を救おうとしたからです。お金の世界には神の義が存在します。しかし、それと同じほどに神の憐れみと赦しが注がれています。債務が赦されるこの幸いは、神による罪人への赦しを示しています。キリストが我らの友となり、債務をご自分の血で支払ってくださいました。我らの債務証書そのものを無効にしてくださいました。

2023年5月7日日曜日

 2023年4月23日(日) 第 4主日

『一人の罪びとが悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。』(ルカ 15章  10節)

 失われた一匹の羊を捜して連れもどした羊飼いの話と、なくした1枚のドラクマ銀貨を捜して見出した女の人の話をイエスはなさいました。その目的は、失われたひとりの罪びとを捜して救い出すためにイエスが来られたこと。そして、罪びとと呼ばれる者との食事は、見出された喜びを共に祝っている宴席だと教えられました。銀貨 1枚、羊 1頭でさえ見つかれば近所の人と喜び合うのだから、失われた人が連れ戻されたのだから、その喜びはいかばかりでしょうか。それを伝える第 3弾の例え話は、戻って来た放蕩息子です。

 父に財産をねだり遠国へと旅立った息子は、放蕩三昧の末にどん底に落ちてしまいました。空腹で目の前の豚の餌さえも欲している自分のみじめさに目が覚めました。軽んじていた父の家だったが、そこに在る恵みの豊かさに気づきます。それ以上に、天の神への反抗の罪を悔い改め、来た道を引き返しました。神を神として崇めず感謝もせず、それ故にその心は空しくなりました。美しく見えた物は虚像であり、成れの果てが、みじめな罪人です。

 イエスが天の御父より遣わされ世に来られた目的は、失われた一人を捜して救うためです。御子をこの世に遣わされたのは天の御父です。イエスが教えようとされたのは、天に居ます御父の罪びとへの愛と赦しです。

 父の元から遠国に行き放蕩三昧の果てに、どん底に陥った息子は、目が覚めて悔い改めました。悔いた遜りの心で父の元に向かいました。すると
「まだ、家まで遠いのに父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」咎め立てせず、一切を赦し受け入れてくださいました。御父はイエスを世に遣わした程に世の人々を愛しておられます。

「かけよって」の一言は、その立ち返る姿を見て天の御座から身を乗り出すかのようです。放蕩した息子が言ったように、
「私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。」
人が犯す罪とは、そのように天におられるイエスの御父への罪です。御子イエスを通して、悔い改めて許しを願う者を御父は必ず受け入れてくださいます。更には、神の子どもとなる大いなる特権が与えられます。天の御父のそばにいる御使いと共に喜び祝ってくださいます。

2023年3月30日木曜日

 2023年3月5日(日) 第1主日

『なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。』(ルカ 14章 11節)

逆転世界

 主イエスがもたらす神の国と社会通念とでは、大きな開きがありました。パリサイ派のユダヤ人に代表されるように、規則を増し加え、大切な人の傷みや苦悩が、なおざりにされて行きました。安息日に病気をなおす主イエスを監視し、その御業を批判しました。かたや安息日には井戸に落ちた家畜を助け出すことに異義を唱えません。人の命が家畜に劣るものとされました。
 当時の社会にも不平等があり、隔ての壁がありました。お祝いの席や、食事の席に際立ちました。神の国の宴との違いを主イエスはこう教えられました。
「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しすることがないようにするためです。食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、足の不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」(ルカ 14:12~14)
教えた通りを実行された主イエスは批判を受けました。
「すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」(新改訳 第 3版 ルカ 15:2)

 私たちが、神の国に入るのは、主イエスのこうした招きがあるからです。神の国だからこそ、選んでもらえました。貧富の差、血筋の違い、行いにおける優劣、社会的な立場、そうした規準とは異なります。返って招かれざる人を招き入れておられます。私たちもそうです。罪びとの一人であり、義においては返すことができない無一物の者を招いてくださいました。神の国には、神の愛と憐れみが溢れています。ただただ恵みによります。
「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ 14:17)神の国には聖霊の支配の中での喜びがあります。

2023年3月2日木曜日

 2023年1月29日(日) 第 5主日

『イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことのできない女の人がいた。イエスは彼女を見ると、呼び寄せて、「女の方、あなたは病から解放されました。」と言われた。そして、手を置かれると、彼女はただちに腰が伸びて、神をあがめた。』(ルカ 13章10~13節)

解放

 「曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。」(伝道者の書 1:15)
この言葉は、老いと人の終わりを指しています。アダム夫婦が神の戒めに違反したことで受けた、変えることのできない人類全体の運命と言えます。

 神のなさることはすべてが義です。生きる上での苦しみや死もまた神が人に与えたもので神の義と原罪を示しています。この災いとも言える出来事を通して、罪を犯すことにブレーキがかかり、回心にさえ導きます。人が弱くなる時に、神の力が表されます。義人ヨブは、突然襲った苦難の中でも、こう言いました。「主の御名はほむべきかな。」(ヨブ 1:21)

 サタンは、人を支配する道具として苦しい目にあわせます。主イエスと共に安息日に会堂にいた一人の女性がそうでした。18年もの間、本人から自由を奪って拘束しました。上を見上げる人生を失い、下を向いて生きるしかありません。まるで犯罪者が拘留されるように、このアブラハムの子孫の一人を、サタンが閉じ込めておいたのです。

 イエスは彼女を見ると、呼び寄せました。解放の宣言をし、手を置くと、彼女はただちに腰が伸びました。解放された女性は「神をあがめた」のです。目を天に向け、まっすぐに主イエスを見て、神をあがめました。

 この出来事は、安息日論争を引き起こしました。偽善者が定めた安息日規定は、人々を拘束することはあっても解放を許しません。しかし、キリストが来て解放をもたらし、安息をもたらしました。

 エジプトにおける奴隷時代には神の民は、腰を屈めて労役に服しました。この苦しみの中での叫び声を、神は聞いて救い出されました。エジプトから呼び出して約束の地、安息へと導かれました。

 キリストは、私たちを呼び寄せて、救い出してくださいました。頭をあげて天の御座を仰ぐ時、私たちのために死に、復活され、神の右の座にいて執り成してくださる主イエスがおられます。

2023年2月26日日曜日

 2022年12月4日(日) 第 1主日

『イエスは群衆にこう言われた。あなたがたは、西に雲が出るのを見るとすぐに、「にわか雨になる」と言います。そしてそのとおりになります。また南風が吹くと、「暑くなるぞ」と言います。そしてそのとおりになります。偽善者たちよ。あなたがたは地と空の様子を見分けることを知ってしながら、どうして今の時代を見分けようとしないのですか。』ルカ 12章54節~56節

時代のしるし

 聖書世界では、地中海上に雲がわけば雨が降り、南のネゲブ砂漠から風が吹けば熱波に襲われる。これは外れることがなかったようです。
 カルメル山頂から見えた手程の雲を預言者エリアは指示して3年に及ぶ旱魃は終わり、大雨が降ると宣告しました。(1列王記 18:44)大雨被害を避けて急いでエリアと一行は下山したと書いてあります。迷信とは違い、確実な兆しとして主イエスの時代にも知られていました。

 預言者イザヤは熱風にたちまち枯れる草花を例えにしてエルサレムと民族の苦難を告げました。
「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ 40:6)
南風が吹き、一瞬にして光景が変わる風土が背景の預言です。

 主イエスはこう言われます。
「偽善者たちよ。あなたがたは地と空の様子を見分けることを知っていながら、どうして今の時代を見分けようとしないのですか。」
干からびた時代を終えてついには恵みの大雨が降り始めます。キリストの到来は世界中に福音が広まり教会時代を迎える大転換期なのです。

 もう一方、熱風により草花がしおれるように、栄光が去る時代が来ました。エルサレムの破壊です。主イエスは言われます。
「次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ…一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。」
なぜ、そうなるのか。
「それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」(ルカ 19:44)
キリストが来られた時代の人々は、神であるお方のしるしを見ながらも、悟ることがありませんでした。天気のしるしは見抜けたのに。


2023年2月25日土曜日

 2022年11月6日(日) 第1主日

『主人が真夜中に帰ってきても、夜明けに帰ってきても、そのようにしているのを見てもらえるなら、そのしもべたちは幸いです。』ルカ 12章38節

待つこと

 人が生きる上での注意や警戒を促す説教を主イエスはされました。ある金持ちの畑が大豊作で、この先安心して暮らせると思ったその夜、突如として魂が取りさられてしまいました。天国につながる生き方をしてこなかった者には、すべてが喪失体験です。人が生きる上での最大の備えは、神が御子イエスを信じる者に与える、永遠のいのちを受けることに在ると信じます。
 次には、キリスト者への注意喚起です。
「あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」
神に会う備えをしていない人には、まるで寝ている間に盗人が来るようなものです。主イエスが来られる時に聖徒たちは、たちまち主イエスの御もとに携えあげられ栄光の体が与えられます。その力はどんな磁石よりも強く、世界中の聖徒はすべて地上からいなくなるのです。神の奪取とも呼べましょう。キリスト者は、その日を待ち望んでいれば、栄光の日、主の日の実現となるでしょう。

 キリストが来られるその時を待つ心備えが教えられています。
「主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。」
 キリスト者にとって、イエス・キリストは教会の頭であり主です。主イエスが御父の右の座からおいでになるのを待っています。聖徒たちは共に集い、祈りと賛美とみ言葉と、主の晩餐をし続けます。灯りをともしてご主人の帰りを待ちます。

 主のしもべたちは、イエスが戻られるまで腰に帯びを締めて働き続けます。気が緩み、油断しないように注意と警戒が必要です。

2022年12月22日木曜日

 2022年10月30日(日) 第 5主日

『むしろあなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。』ルカ 12章32節

神は与えるお方

 万物を創造した神は、これを養い続けておられます。動物園の象が1日に食べる量は200㎏から300㎏、食費は 1日 1万円にもなるそうです。群れなす鳥、海の生き物、小さな虫に至るまで、食べて生きています。極めつけは 80億にも増えた人の食料の心配です。稲田が減って雀がいなくなりましたが、烏(からす)は減りません。
「種まきもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。それでも、神は養っていてくださいます。」その鳥よりもはるかにまさる人なのに、約 10分の 1が深刻な食料危機に見舞われています。

 戦争と紛争の結果、難民や避難民が生まれ、生活基盤を失っています。ウクライナのような穀倉地帯での戦争は食料に影響をもたらします。環境破壊による地球温暖化の影響もあります。そして、富の一極集中による貧富の格差の問題があります。人的要因が大きいと言えます。
「父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの、日ごとの糧を毎日お与えてください。」と祈ることがキリストの教えです。今の世界は、来るべき御国が来るその時までの存在です。キリストが来られる時に、争いは止み、死も悲しみも過ぎ去り、1000年の間、地上に神の国がもたらされます。飢える者も渇く者もいません。戦争がなく、生き物の世界では獣が牙をむくことはありません。1000年が満ち、最終的には一切の悪が審判されます。ついに、古い物が去り、新しい天と新しい地に変わり、神が人と共に住んでくださいます。永遠の祝福に満ちた神の国が完成します。未来に約束された御国を受け継ぐ民、それがキリストに在る者たちです。
「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ 12:32)神は、御子イエスの命を、私たちの罪の代価としてお与えくださいました。今は聖霊を、私たちの助け主としてお遣わし下さっています。

 2025年12月21日(日) 第3主日 『主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください。』 詩篇138篇8節  神の作品には、途中で放置されたままのものはありません。太陽、月、星、植物、生き物に至る...