2022年5月20日金曜日

 2022年4月17日(日) 第3主日

『これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしく、わたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので、イエスは、「ここに何か食べ物はありますか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。』(ルカ 24章36~43節)

目で見たこと

 聖書には予め主イエスの甦りについて記されていました。「あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。」(詩 16:10)その通りに、十字架上で息ひきとり、墓に葬られ、三日目に神はイエスを甦らせられました。
 証言者は500人以上いましたが、イエスの弟子の中でも初めから従い続けた者たちは特に復活の証人となりました。イエスの復活は弟子たちによる創作物語ではありません。十字架上でのイエスの死は、弟子たちの心をくじき、一心に従ってきたゆえの喪失感と恐れの中にありました。弟子のひとりトマスは、イエスを見たとの仲間の言葉にも懐疑的でした。

 イエスの甦りを正確に理解するのには、三度のイエスの顕現を要しました。
一度目は20:29「こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。」
二度目には20:29、『イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」』
三度目は、「まさしく、わたしです。わたしにさわって、よく見なさい。」

 証人のひとりヨハネは、イエスの復活の確かさをこう記しています。
「目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。」(1ヨハネ 1:1)

 2022年3月6日(日) 第1主日

『ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます。」と言った。イエスは起き上がり風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」』(ルカ 8章 22節~25節)

どこにあるのですか

 もし私ならばどうしただろうか。弟子たちは、突風により大波をかぶって舟もろとも沈みそうです。命の危険が迫る中で、きっとこの口が叫び出すことでしょう。「主よ、お助けください。」
 幸いなことに、天地万物創造の主を知る者となりました。「主の御名を呼び求める者は救われる。」(ローマ 10:13)と約束されています。その主とは、私たちのイエス・キリストのことです。

 弟子たちは命の危険迫る中でどうしたのでしょうか。自分たちの窮状を、必死で訴えました。「私たちは死んでしまいます。」この叫びは主イエスを目覚めさせました。主イエスの一言で風も水もおさまりましたが、イエスは弟子に向かっては、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか。」
 パンを用意するのを忘れたのは不注意に過ぎません。ところが、信仰を置き忘れて舟に乗るのは一大事です。荒れ狂うガリラヤ湖上で信仰がどう働くか。大切な時にこそ、信仰は力となります。

2022年5月16日月曜日

 2022年2月27日(日) 第4主日

『さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、大勢の人のためにそばに近寄れなかった。それでイエスに、「母と兄弟方が、お会いしたいと外に立っておられます」という知らせがあった。しかし、イエスはその人たちにこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちのことです。」』(ルカ 8章19~21節)

聞いて行う人々

 イエスは「種をまく人の種のたとえ」を弟子に解き明かし、「種は神のことばです。」(8:11)と説明されました。種を蒔くお方がイエスだとすれば、イエスの言葉は神のことばそのものです。聞く側の姿勢が問われています。

 第1に、自ら進んで耳を傾けるべきです。「聞く耳のあるものは聞きなさい。」
 第2に、正しい良い心で聞くべきです。「だから聞き方に注意しなさい。」
 第3に、語っておられるお方イエスに聞くべきです。「彼の言うことを聞きなさい。」
 信仰は聞くことから始まるとパウロも聖書から引用しています。イスラエルは、神のことばに対して聞こうとしなかった歴史があります。(ローマ 10:17)実を結ぶことができませんでした。

 「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれだも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録 3:20)
 私が、初めて聞いた聖書のお言葉です。まさに主イエスからの語りかけで応答できました。

 聞いて行う人々は「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです。」(8:21)
 まず、主イエスご自身は、御父のお言葉を聞き、それが、十字架の死であろうとも、その通りに行われました。それが父と子との関係です。兄弟姉妹との一致は、同じ御言葉を聞き、それを行おうとすることにあります。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...