2020年9月2日水曜日

 2020年8月30日(日) 第5主日

『私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人達も同じです。』(使徒の働き15章11節)

聖霊と私たち

 教会が異邦人世界に広まる中で、ねたみや迫害、サタンのいざないに加え、異なる教えによる攻撃がしかけられてきました。異邦人は、主イエスを信じるだけでは救われない。ユダヤ人のようになるべきだと説くものが現れました。ガラテヤ人への手紙では、福音を変えてしまおうとする者たちで、パウロ曰く「のろわれるべきです。」と言われている教えです。

 1.救いのために何をすべきか。

 マケドニアのピリピにある牢獄の看守が、パウロとシラスに尋ねました。「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:30)そして「すぐにバプテスマを受けた。」

 2.キリスト者がすべきこと

 使徒ペテロの説教を聞き、彼の言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、3000人ほどが仲間に加えられました。(使徒2:41)信じた人は、バプテスマを受けました。そして、主イエスの弟子となり、ひたすらに求めました。「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2:42)主イエスの教会に加えられた者たちは、み言葉を聞き、教えを守り、ともに祈りをしました。

 3.キリスト者が避けるべきこと

 エルサレムにおいて使徒たち長老たちが論議して決定したことがあります。異邦人教会あてに文書で通達されました。「聖霊と私たちは、次の必要なことのほかは、あなた方に、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に備えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けることです。これらを避けていればそれで結構です。」(使徒15:28、29)異邦人キリスト者が注意を払うべき事は、偶像と不品行と食物規定に関してのみです。その目的も、ユダヤ人との交わりが、そがれないためです。

 4.キリスト者がしなくてもいいこと

 アンティオキアに来て異なる教えを伝えるユダヤ人が言いました。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない。」(使徒15:1)真の割礼は聖霊による証印です。また、新しい創造です。モーセの律法(文字)のもとにはもはやなく、キリストに仕えるものになりました。パウロが言いました。「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)



 2020年8月23日(日) 第4主日

『あなた方がこのような空しいことを離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです。』(使徒の働き14章15節)

ルステラでの出来事

 1.野の花を見ても悟らず

 朝顔が、しぼんで開く仕組みを考案し、普及させたのは誰でしょう。原理は水分の利用にありますが、花びらをしぼめて開く仕組みと形状を考える必要性があります。朝顔が進化の過程で自らが体得したとすれば、幾何学を熟知していたことになります。合わせてプログラムをコピーして再生産する仕組みまでも造り出したことになります。考案、設計、施工、メンテナンス、デザインまで含めて、最初の朝顔が造りだしたと考えられるでしょうか。今の朝顔にまさる仕組みはありません。最高傑作です。

 主イエスは、野の花が、かくも綺麗に装っているのは、自己才能や労苦の結果ではなくて、天の父であることを教えられました。(マタイ6:28)

 私たちは、神の創造と悪の御業をいつも見続けているのに、どうして悟らないのでしょうか。神からの啓示はあっても理解する知恵がありません。

 2.歩けない人が歩いても悟らず

 新約聖書で歩けない人が、瞬時に立ち上がる三つの出来事を比較してみます。第1に主イエスの御業です。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると彼は起き上がり、すぐに寝床をたたんで・・・・。目撃者の反応は「すっかり驚いて、こんなことは見たことがない。と言って神をあがめた。」(マルコ2:11、12) 極めて健全な反応と神への応答だと言えます。神に栄光をお返ししました。

 第2は、使徒ペテロとヨハネが行った歩けない人の出来事です。「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒3:6)すると、おどりあがって、まっすぐに立ち、神を賛美しました。しかし、目撃者の反応は「驚き、あきれた」(使徒3:10)「なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」神に栄光を返したのは本人でしたが、周りは人の業だと見ました。

 第3に、使徒パウロとバルナバとが、ルステラで行った所の、歩けない人の出来事です。 「自分の足でまっすぐに立ちなさい。と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。」それを見た群衆は、「神々が人間の姿を取って、私たちのところにお下りになったのだ。」ギリシャの神々の顕現だと言って使徒たちに、いけにえをささげようとしました。空しいことです。

 3.福音を聞いても悟らず

 ユダヤ人は、神が人となった主イエスに躓きました。異邦人世界ルステラでは、人と神の明瞭な線引きがなく、使徒たちまでも神々にされてしまいました。福音は、万物の創造者が救いのために人となられたことを伝えます。神の御子イエスが世界に来て、罪の贖いのために十字架で死なれたこと、そして、三日目に復活されたことを伝えます。主イエスを、私たちの救い主として信じることが正しい応答です。

 

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...