2018年10月15日月曜日

2018930() 第5主日

「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」 ローマ613

宣教教カンファレンス開催

祈り準備を進めてきた宣教カンファレンスを24()に開催できました。まずは世界宣教の基礎的な事を学びたいとの趣旨でしたが、その如くに、説教者の小川牧師よりは最も大切なこととして、まず「古い自分に死ぬ」ことだと教えられました。ガラテヤ220節が読まれました。自分を否定し、自分を神にささげることが宣教の実践であることからしたら、これは重要な霊性であることに気付きました。すでにキリストにあって古い自分は死んだ者であることをたえず確認し続けて行くことを学びました。自我を抱き、祝福をねたみ、不純なままでの自分に気付きました。その問題から解かれ、そして自分をささげることが大切であることを知りました。ローマ613節が読まれました。

第2集会では、「祈らないことの失敗」を聖書の聖徒たちを例に具体的に教えを受けました。まず祈り求める事を実践すべきであって、これを怠れば失敗が待っている。逆に教会が一致して祈り求めるならば主は答えてくださる。そのことを千里ニュータウン教会の実例から教えを受けました。主の働きは方策には決してよらず、ひとえに霊性に拠ることを知りました。聞いてそれを行うかどうかが、問われた説教でした。

ボリビアの子どもたちの女子施設「MEGIMI」の立ち上げについて秀子先生がご自分の体験から語られました。路上にいる虐待を受けた子ども達を見て心を痛め、救霊と重荷をもち、誰もが不可能だと留める中で道が開かれて行きました。家が与えられ、そこで子ども達が信仰を持ち、バプテスマを受け、今は成長して主に仕えるに至っています。哀歌2:19が読まれました。60年を迎え、なぜ、世界宣教なのでしょうか。それは、自己中心性と自我とを捨てて、主イエスを中心とした教会を建て上げて行くべき挑戦です。主の御命令を、主の御心を最優先にして歩むことへの絶えまない挑戦です。

201899() 第2主日

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ123

              教会の尊さ

名古屋聖書バプテスト教会をお造りくださった主イエス・キリストと父である神を賛美いたします。教会は、私に、悔い改めて生けるまことの神に立ち返る機会を与えてくださいました。教会は、私に聖書を教えて神の御心を知らしめました。教会は、私に真の礼拝を体験させてくださって、霊的礼拝の何かを示してくださいました。教会は、私に主イエス・キリストにお仕えする幸いな道を示してくださいました。教会は、私に福音を教え、福音によって生きることをすすめ、福音を伝える道を開きました。教会は、真の交わりを与えてくださいました。父と子と聖霊の交わりの中に入れられ、同じ聖徒たちとの幸いな交わりを与えてくださいました。教会は私の生活です。

測り知れない富を、キリストを通して与えられている教会は、キリストご自身が命を捨てて、買い取られた民によって成り立っています。その人々は、罪の赦しをいただいた幸いな民の集いです。教会の恵みの富、それは罪の赦しです。よって、ゆるしは教会の性質そのものであり特徴であるはずです。

福音を、そのままに生きる教会の姿の第1は、キリストこそが主と告白されていることです。信者はしもべであり、教会の頭は、いつも主イエスです。教会は小さくても、頭であるキリストは、大いなる主であり神なのです。

教会の使命は、今この時に生きる人々のところに、平和の福音をもって派遣することです。神の召命を受けて海外に派遣される。あるいは、国内に派遣される。各地に派遣される。これは宣教のための派遣であり、そこに主イエスの教会を建てあげる使命を託して遣わされます。

すべての聖徒たちもまた派遣されています。家庭に地域に、親族に学校にと、あらゆるところに置かれて、生活の中で主イエスを信じて生きるのです。時に、福音を語ることもありえましょう。時に、自分の家庭で集会を開くこともありましょう。そして、各自が自分の家で、祭壇を築くようにして、祈りを主にささげます。人々のために祭司として任務である執り成しをし続けます。

キリスト者にしかできない尊い奉仕のために、神は助け主である聖霊をお与えになりました。あらゆる奉仕に必要な能力は、このお方により備えられています。肉の力によらず、聖霊の導きによります。教会は聖霊の宮です。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...