2018年9月30日(日) 第5主日
「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」 ローマ6章13節
宣教教カンファレンス開催
祈り準備を進めてきた宣教カンファレンスを24日(月)に開催できました。まずは世界宣教の基礎的な事を学びたいとの趣旨でしたが、その如くに、説教者の小川牧師よりは最も大切なこととして、まず「古い自分に死ぬ」ことだと教えられました。ガラテヤ2章20節が読まれました。自分を否定し、自分を神にささげることが宣教の実践であることからしたら、これは重要な霊性であることに気付きました。すでにキリストにあって古い自分は死んだ者であることをたえず確認し続けて行くことを学びました。自我を抱き、祝福をねたみ、不純なままでの自分に気付きました。その問題から解かれ、そして自分をささげることが大切であることを知りました。ローマ6章13節が読まれました。
第2集会では、「祈らないことの失敗」を聖書の聖徒たちを例に具体的に教えを受けました。まず祈り求める事を実践すべきであって、これを怠れば失敗が待っている。逆に教会が一致して祈り求めるならば主は答えてくださる。そのことを千里ニュータウン教会の実例から教えを受けました。主の働きは方策には決してよらず、ひとえに霊性に拠ることを知りました。聞いてそれを行うかどうかが、問われた説教でした。
ボリビアの子どもたちの女子施設「MEGIMI」の立ち上げについて秀子先生がご自分の体験から語られました。路上にいる虐待を受けた子ども達を見て心を痛め、救霊と重荷をもち、誰もが不可能だと留める中で道が開かれて行きました。家が与えられ、そこで子ども達が信仰を持ち、バプテスマを受け、今は成長して主に仕えるに至っています。哀歌2:19が読まれました。60年を迎え、なぜ、世界宣教なのでしょうか。それは、自己中心性と自我とを捨てて、主イエスを中心とした教会を建て上げて行くべき挑戦です。主の御命令を、主の御心を最優先にして歩むことへの絶えまない挑戦です。