2021年11月28日(日) 第 4主日
『人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。』(ルカ 6章 31節)
黄金律
「自分にして欲しくないことは、人にもそのようにしてはならない。」というのと「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」とでは石と黄金ほどにその言葉の価値が違います。
盗んではならない、殺してはならない、隣人のものを欲しがってはならないという律法は、隣人を損なうことをしないための禁止律法です。モラルの低下や、迷惑行為などは社会全体の質を低下させる原因になります。人にしてはならない事から始まります。
それに対して愛の律法は、隣人のために益となることを進んで行うことです。「しないこと」よりも「すること」にかかってきます。主イエスは「自分にしてもらいたいと望む」ことをせよと言われました。
私がしてもらいたいと願うことと、隣人の願いとが一致しているとは限りません。おせっかいや善意の押し売りというのもあります。自分を基準に、良いことをして本当に大丈夫なのでしょうか。
主イエスは、ご自身の願い通りのことを人にもなさいました。かつ、真に隣人の益となる事のみを実行されました。自分にしてもらいたいことをせよとは、神のみこころと合致する願いごと以外には存在しません。
願いはあっても、あるいは、してあげたいと思っても、それができないもどかしさをいつも私たちは抱えています。それでも、わかっていることは、人が求めているもの、あるいはしてもらって有難かったこと、それは「愛」です。親族、友人、教え導いてくれた人々。そうした人々から受けた恩恵があって今の自分があります。自分が受けてきた数々のことが思い出されてきます。「ならば、してもらったことを、今度は隣人にもすべきではないのか」
主もまた言われました。
「人にもその通りにしなさい」
何よりも、天の御父が、私にしてくださったことは特別です。御父である神は、私の罪のゆるしのために御子イエスを、身代わりとして罰せられました。そして、今も、私の罪を赦してくださいと祈るたびに、赦し続けてくださいます。敵であった私たちでさえも愛してくださいました。ならば、「人にもそのようにしなさい」
まことに説得力のあるお言葉です。