2021年10月31日日曜日

 2021年10月10日(日) 第2主日

『ところが、律法学者たちはあれこれ考え始めた。「神への冒涜を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」』(ルカ 5章 21節)

赦された者の歩み

 鳥が放たれた
 全身ひどい皮膚病のためツァラート(レビ記 13章)の宣告を受けていた人が、イエスのもとにきて、ひれ伏して願いました。主イエスが、「わたしの心だきよくなれ」と言うと、すぐに、皮膚から病が消えました。癒やされた人は、主イエスの命令に従い、祭司のところで 1週間かけて、捧げものなどをして後、最後に鳥が 1羽放たれて、解放宣言がなされました。癒やしを経て、神の前にきよめられた人となりました。

 屋根がはがされた
 続いて、主イエスのもとに寝床ごと連れてこられたのは、身体麻痺の人です。伴だって来た男たち 4人の行動は奇異に思えます。家の屋根をはいで、イエスの頭上から病の人をつりおろしました。「人はうわべを見るが主は心を見る。」(Ⅰサムエル 16:7)とあります。屋根をはいでつりおろす男たちの行動の内にある、「彼らの信仰を」見て下さったのが主イエスです。

 罪がゆるされた
 他方、身体麻痺の人については、深刻な罪の問題を抱えていることを主イエスは見抜かれました。4人の男たちではどうにもならなかった問題でした。イエスはご自分の主権を用いて、「あなたの罪は赦されました。」と告げます。まさに、イエスのお心ひとつで、この人もまた、きよめていただいたのです。

 寝床がたたまれた
 罪の赦しわ得た人に、イエスは命じられます。「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われました。信仰者としての第 1歩が始まりました。すべての罪の重荷を取り払われ、解放された身で主イエスに従い続けます。

 血が流された
 キリストは罪からの救い主です。そのために自ら犠牲となって十字架で命を捧げてくださいました。流された血は、すべての罪と汚れからきよめるのに十分です。そのことを信じた者が、きよめられますように。また、信仰に基づいた行動をした人にならうことができますように。 


2021年10月20日水曜日

 2021年9月5日(日) 第1主日

『主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。』(ルカの福音書 4章18節)

時が満ちて

 バプテスマと荒野の試練を経て、いよいよ主イエスのお働きの開始です。場所は、ご自分の育たれたナザレの会堂です。聖書の巻物がイエスの手に渡されイザヤ 61章が朗読された後、こう宣言なさいました。
 「今日、この聖書のことばが実現しました。」(ルカ 4:21)
神の恵みの始まりです。

 「主の恵みの年」とは 50年ごとの解放と回復の喜びの年です。牡羊の角(ヨベル)のラッパの音で始まります。恵みの年の到来を告げ知らすイザヤの預言したキリストとは、主イエスのことです。ルカの福音書は、主イエスによってもたらされた恵みの年の解放と喜びが記されています。

 ヨベルの年は貧しい者にとっての待望の年でした。負債がリセットされ、手放した土地が買い戻されるのです。ルカの福音書は貧しい者への福音です。
 ヨベルの年の大贖罪日には、民の罪を背負ったやぎが解き放たれました。ルカの福音書は、罪の赦しの福音が強調されています。(ルカ 24:47)
 ヨベルの年には捕らわれ人が恩赦を受けて解放されました。主イエスは、ゲラサの墓に住む人の所に行き幾千の悪霊どもから、その人を解放されました。「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。」(ヨハネ 4:34)主イエスこそが、私たちの主です。
 ヨベルは大安息年でした。あらゆる労苦から解かれる日です。主イエスが来て、目の見えない人の目を開きました。やがて、永遠の安息が到来します。7年を 7度繰りかえしたときに「時が満ちて」ヨベルが始まりました。時が満ちて、主イエスが来られる時に安息と解放が実現します。

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 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...