2020年11月8日日曜日

 2020年10月18日(日) 第3主日

「神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」使徒の働き17章31節

アテネでの伝道

 2004年にアテネオリンピックが開催されましたがテレビ中継の冒頭には、毎回、アテネ市街が一望できるアレオパゴス(アレスの丘)と柱石だけが残るパルテノン神殿が映し出されました。そのふもとにはアゴラ(広場)の跡地があります。政治・商業・行政・宗教など文化の中心だった場所で、神殿・裁判所・貨幣鋳造所・会議場・噴水などがあった遺跡です。紀元50年ごろ異邦人の使徒パウロは、アテネを訪れて、天地万物創造の神を伝えました。万民の審判者であるイエスを伝え、悔い改めるようにと勧めました。今に至るまで異教世界に福音が伝えられています。

 人の知恵と神の知恵
 かつてソクラテスも論じた場所で使徒パウロが、アテネの哲学者と論じました。相手はエピクロス派とストア派の哲学者たちで個人の幸福を追求しました。神にある幸福とは別に、人間の心の満足や人間の理性の力が鍵を握りました。こうした知恵と対決するのが神の知恵です。十字架のことばとも言われます。哲学は思想ですが、パウロは神の知恵を一人のお方イエスご自身とその出来事を抜きにして論じることはしませんでした。その出来事とはイエスの十字架の死と死者の中からの甦りです。人の知恵と理性の範疇を全く超える出来事です。犯罪人の受ける厳罰である十字架刑を受けたイエスを、神の御子、救い主と信じることなど愚かと思われました。イエスが死者の中から復活したことに話は及ぶと興味を失い去って行きました。アテネ伝道では、表された神の知恵を人間の知恵が愚かだと判定してしまいました。

 人の裁判と神の審判
 ギリシャの神々の宗教的中心地であり、パルテノン神殿ががそびえ立つ地で、パウロは天地万物創造の神は、人の手によって造った宮には住まないと告げます。アレオパゴスは裁判の場所でもありました。使徒パウロは、神の審判の日を語ります。「神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。」 パウロはアテネに偶像が満ちているのを見て憤りました。しかし、その対決方法は、論じ合うことであり、天地万物創造の神を伝えることでした。
 アテネは、まさにこの世そのものと対峙する場所となりました。人間の知恵と神の知恵、まことの神と神々との対峙です。ひとりパウロはアテネで語ります。なんと大胆でしょうか。キリストによる審判の日が決まっていることを伝え、悔い改めを神が命じていることを厳かに語りました。そのメッセージは、今も昔も変えてはならないものです。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...