2021年2月5日金曜日

 2021年1月10日(日) 第2主日

『けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。(新改訳第3版)』 (使徒の働き 20章24節)

慰めと励まし

 「走るべき行程を走る」(使徒20)そう言ったのは、マラソンランナーではなく、使徒パウロです。「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしていません。」(Ⅰコリント9:25、26)これもパウロの言葉です。その伝道の旅路は、シリアのアンティオキアから始まり、ギリシャにまで至り、そこからアジア州の中心エペソでは2年にわたり伝道しました。それを終えて、諸教会を訪ね、エルサレムに向かいました。先へ先へと進む姿は、まさに走路をかけるランナーのようです。まっすぐに、目標に向かって進み続けました。「いま、私は心縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで、私にどんなことが起こるかわかりません。わかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりと証されて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」(使徒20:22、23)苦難の先にある栄冠を目指して走り続けたパウロです。

慰めの神

 パウロは苦難を受けつつも、多くの人を慰め、励ましました。それが出来たのには、「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる者をも慰めることができるのです。」(Ⅱコリント1:3、4)慰めの体験を分かつことで「慰めの神がほめたたえられるようにと」願い、多くの勧めをし続けたパウロです。「その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシャに来た。」(使徒20:2)

神よりの慰めのことば

 聖書中の先人たちが受けた神よりの励ましと慰めは、私たちのためです。神からの慰めのメッセージを聞きましょう。「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。その罪に引き換え、2倍のものを主の手から受けたと。」(イザヤ40:1、2)
 ついに主イエスが来てくださり、神の慰めが実現しました。
 主イエスが昇天されてからは、代わりに聖霊が来てくださいました。この御方は、助け主、慰め主なる神です。キリストを信じた者は、聖霊を受けています。こうして神の慰めと励ましは、いつもそばにあるのです。

慰めの御業

 パウロは説教によって励ますと同時に、神の御業によって慰めをもたらしています。
 場所は、エルサレムに向かうトロアスの港町での出来事です。集まった人々に、パウロは明け方まで長い話をしました。聞いているうちにユテコという青年は、眠りこんでしまい、3階から転落して息絶えました。しかし、パウロは身をかがめ、抱きかかえると青年は息吹き返しました。「人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」(使徒20:12)今もなお、主は悲しみの中にも慰めを与えてくださっています。主イエスは、我々のために、こう言い残しておいてくださいました。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。」(ヨハネ14:1、2)
 永遠のいのちの希望が与えられています。


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