2019年10月3日木曜日

2019年9月29日(日) 第5主日

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(Ⅰヨハネ5章14節)

           御心にかなうこと

1.知恵を求めることはみこころにかなうごと。(ヤコブ1章5節)

 王となったばかりのソロモンが、神に求めたことは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」この願い事は主の御心にかなった。(1列王記3章9,10節)その結果、知恵の心と判断する心とが与えられました。ソロモンが求めなかったものは、富と誉れ、長寿と敵のいのちでした。自分の心の満足が優先しませんでした。神の働きのために必要なものが何であるのかをわきまえていました。
御心にかなう願いをするのに必要なもの、それが知恵だとも言えます。
 
2.愛を求めることこそみこころにかなうこと。(Ⅰコリント14章1節)

 私たちに欠けたものは信仰と希望と愛です。その中で、最も欠けているもの、それが愛です。神に対するたゆむことのない信頼が揺らぐ時があります。結果不安が訪れます。信仰は恐れを締め出します。神への信頼を見失うと行く先に希望が見えてきません。いつも神への信頼を抱き、希望をもつならば、喜びが与えられます。でも、欠けています。

3.愛があれば、おそれが締め出され、希望がわいてきます。愛があれば喜びもわきます。愛があれば祈ります。あらゆる行動の規範になるのが、愛です。なんと欠けていることか。ですから愛を求めることは神の御心にかなうことです。「愛を追い求めなさい」(Ⅰコリント14章1節)

4.願いがたとい妨げられても。(ローマ1章13節)

 使徒パウロは、神の御心を果たそうとローマの信者への訪問を強く願いましたが、幾度も妨げられました。しかし、最後には、実現しました。差妨げのただなかで、執筆されたのがローマ人への手紙です。

2019年9月22日(日) 第4主日

「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」Ⅰヨハネ5:4、5             

              信仰は勝利

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」
 ヨハネ福音書3章16節にある「世」とはどのような意味で使われているのでしょうか。コスモス(宇宙)は、単に天体観測の対象ではありません。
 天には神の御座があり、父である神、御子イエスがその中心におられます。無数の御使いたち、贖われた聖徒たちは神に礼拝をささげています。いと高き所と呼ばれています。
 それに対して、この世があります。そこもまた、神の支配があり、神の恵みが注がれています。「世を愛された」と言われているように、何よりも神の愛がそそがれています。キリストを信じる者たちは、この世にあって、その神に愛された者たちです。
 Ⅰヨハネの手紙には「全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。」(Ⅰヨハネ5:19) 当時は、ローマ帝国の支配下に置かれていました。キリスト者は、皇帝礼拝のおきてには従いませんでした。神の国に帰属する者として、神の命令を第1としました。ローマ人への手紙にあるように「イエスを主と告白する」ことが信仰者の証でした。ローマ帝国の命令は人々に思い負担を強いました。しかし、神の命令は、それとは異なり「その命令は重荷とはなりません。」(Ⅰヨハネ5:3) 主イエスが与えた命令と、世界が下す命令とが真っ向から対立していた時代、それが当時の「世」です。
 
 サタンとは神に敵対する者を言い、あらゆる悪の源、初めからの人殺し、偽りの源、堕落した天使長です。その魂胆は、神への礼拝を盗むことです。異なる教えや、異なる神々、人間の欲の代償、それは人の心を盗むことです。知らないうちに、サタンにひれ伏し、仕えることになります。
 キリスト者のそうした世との戦いの結末は、すでに決まっています。主イエスは世に来てすでに勝利されました。復活はそれを如実に示します。信仰は勝利へと導きます。主イエス・キリストへの信仰なくしては、惨めな敗北を味わいます。私たちはそのことを知っています。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...