2020年5月6日水曜日

2020年4月19日(日) 第3主日

『「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが礎の石となった。」というのはこの方のことです。』(使徒の働き4章11節)

捨てられた石から

 主イエスの弟子バルヨナ・シモンは、選ばれた石として、ペテロと名付けられました。主イエスの宣言にある「私はこの岩の上に教会を建てます。」(マタイ16:18)、そのイエスの建てる石材の一つとして選ばれました。イエスの建てた教会は、巨岩を土台にし、イエスの12使徒たちが、基となってできた石造りの建物のようです。その特徴の第1は、優れて堅牢であることです。「よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」(マタイ16:18)ヒゼキヤ王が重い病気にかかった時、「私は生涯の半ばで、よみの門に入る。」(イザヤ38:10)そう嘆きました。死の影が覆い、捕らわれの身となって「よみの門」をくぐり、死にくだる者のようです。しかし、ヒゼキヤは神によって救い出されました。「私のたましいを引き戻されました。」(イザヤ38:17)教会の頭イエスは、死に打ち勝ち、ハデスもイエスを留め置くことができませんでした。蘇られ、勝利されたお方こそが教会の主です。主イエスこそ私たちの堅固な岩です。聖歌236『イエスこそ岩なれ堅固なる岩なれ。』

 その特徴の第2は、イエス・キリストの御名が冠せられていることです。イエスの使徒たちの時代にはイエスの建てた教会はひとつでした。各地に存在する群れは「散って寄留している、選ばれた人々。」(Ⅰペテロ1:1)であって、もし当時の呼び名で言うならば「川名にあるイエス・キリストの教会」となったことでしょう。教会間には上下も支配関係もなく、あるのは交わりと協力でした。そこに偽りの教師、あるいは異端が入り込むことになりました。イエス・キリストがお建てになった教会はこう告白します。
 「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は与えられていないからです。」(使徒4:12)
 私たちの罪の贖いの代価となって死なれたお方は、主イエスの他にはありません。ひとたび死にわたされて後、甦られたお方は主イエスのみです。

 その特徴の第3は、教会は捨てられた石となられた主イエスが礎であることです。
 「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。」(使徒4:11)
 なぜ、主イエスはご自分の民に捨てられ殺されたのか。その背後に権威論争があります。
 「祭司長、民の長老たちがみもとに来て言った。何の権威によってこれらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」(マタイ21:23)その答えは、天の父が御子に授けた権威によります。

 教会の歴史は主イエスの道のように捨てられた時代、葬られようとした時代を経ました。この論争がなされたエルサレムの荘厳華麗なる石造りの神殿は破壊されました。しかし、捨てられたイエスの建て上げた教会は存在し続けています。もっとも低い所から始まったのが主イエスの教会です。
 「私たちの目には不思議なことだ。」(マタイ21:42)

2020年5月5日火曜日

2020年4月12日(日) 第2主日

『あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが あなたの御前にあり 楽しみが あなたの右にとこしえにあります。』(詩篇16篇11節)

主イエスのよみがえり

 今日は、主イエス・キリストの復活を記念するイースターです。故人を記念するのに墓に行きます。そのようにして、十字架から取り下ろされてイエスが埋葬された墓に、朝早く女性たちが行きました。ガリラヤからイエスと共に来た女性たちです。安息日明けに行ってみると墓が空になっていました。いったい何が起きたのか途方にくれていました。すると、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が告げました。
「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24:5、6)
 その意味するところの第1は、イエスは生きているということです。もはや復活なさったイエスに墓は無用です。
 
 第2に、イエスの言葉は確かであり、聖書の通りであったことを証しています。
 「人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」(7節)
 イエスはアーメンである方です。主イエスが語った言葉に誤りはありませんでした。

 第3に、空の墓は、文字通り肉体のよみがえりを証しています。単に心の中に故人の記憶がよみがえったのではありません。息もなく朽ちて行くしかない体からよみがえられたのです。罪と死との支配から一切解き放たれ、死なない栄光の体への甦りです。ハデス(死者の中)から、パラダイス(天国の園)への凱旋と昇華なのです。

 第4に、近い将来に起きる出来事を証しています。すべての墓が無用となる時がきます。その理由は、イエスを信じたすべての者が、よみがえり、贖いが完成するからです。しかし、最後の審判のために、すべての死者もまた復活させられます。永遠の滅びと裁きのための復活です。
 「見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。」(黙示録6:8)

 今、新たな戦争と対峙しています。難敵で強力な見えないウィルスです。有効策は隠れて動かないことです。この時に主イエスの十字架と復活を覚えています。主イエスだけは完全に死に勝利をされました。神から、すでに死への勝利宣言がされました。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...