2021年3月31日水曜日

 2021年3月28日(日) 第4主日

『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。』(イザヤ 53:9)

受難から復活へ

 今週は受難週です。まず、主イエスが、平和の君、柔和な王として、ろばの子にのってエルサレムに入場されます。群衆はホサナ(賛美の定型句)の声に包まれ入場されました。ベタニヤ村を拠点に毎日エルサレム神殿に行かれます。反対者たちの殺害の企てが進められます。十字架前夜(木曜日の夜)に弟子と共に過ぎ越しの食事をされました。弟子の足を洗い、説教をし、祈り、パンを裂き、杯を渡されました。その夜、場所を移し、ゲッセマネの園において苦悶の祈りを終えた後に捕縛されました。翌朝(金曜日)ユダヤ議会にかけられ、次に総督ピラトのもとで十字架刑が下されます。不法な者の手にイエスの身は渡され、エルサレムの市街を、十字架を担い歩まれます。ゴルゴタ(しゃれこうべ)に着くと二人の犯罪者と共に十字架につけられました。

 朝の9時から始まり昼には太陽の光を失います。昼の3時ごろ「父よ、わたしの霊をあなたの御手に委ねます。」こう言って、息をひきとられました。(ルカ 23:46) 兵士はイエスの死を確認したにもかかわらず槍で突き刺しました。イエスだけは富める者の墓に葬られました。(イザヤ 53:9) 兵士は墓の番をし、固く封印しました。安息日が明けた日曜日の朝早くイエスは甦られました。最初に復活の主に出会ったのはマグダラのマリヤです。(ヨハネ 20) その後、弟子たちには3度ご自分を表されました。そのほか多くの聖徒たちが主に会いました。

 聖書の預言の通りです。「イエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目に甦らなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」(マタイ 16:21)

2021年3月8日月曜日

 2021年2月14日(日) 第2主日

『「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪者たちを、一人は右に、もうひとりは左に十字架につけた。その時、イエスはこう言われた。「父よ、…彼らは、自分が何をしているのかが分っていないのです。」』(ルカ23:34)

神からの赦し

 「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。」(使徒26:14)
 御父のもとに帰られたイエスが、ダマスコ途上でサウロに直接ヘブル語で語りかけられた言葉です。当時キリスト者を捕えて罰することが、神への奉仕であり、義の行為と思いこんで迫害を加えていました。サウロ(パウロ)は自分がしていることの間違いを悟る時が突如訪れました。

 第1に「なぜ私を迫害するのか」との問いかけ。
パウロは、太陽よりも明るく輝く光に突然照らされました。自分のしていることに神のスポットライトが投ぜられたのです。神の前に立たされる体験です。主イエスは問われます。「なぜ」そのようなことをしているのかと。人は、自分のしていることについて純粋だと思い込む傾向があります。神は、私たちが答える先にご存じです。
 「彼らは、自分が何をしているのかが分っていないのです。」
十字架にかけ、あざける人たちのために、イエスは御父にとりなし、赦しを願ってくださいました。パウロこそ自分がしていることがわからない者の典型です。そして、神のあわれみによって赦されるべき罪人の一人でした。赦すためにイエスは現れ、パウロは回心しました。私たちのためにもイエスは赦しを祈ってくださいました。根本問題は、「なぜわたしを迫害するのか」と問われるイエスを神の御子であると信じていないことにあります。

 第2に、とげの付いた棒を蹴る。
 農作業をする家畜に、主人はとげの付いた棒を使い鼓舞するが、繰り返して痛い目にあう家畜がいます。パウロはキリスト者に縄をかけ牢にいれるような冷徹な主人のようです。ところが、主人に反抗する家畜はパウロ自身でした。神に従順で忠実であると思い違いをしていました。むしろ神とイエスとに逆らう者でした。

 第3に、報告復活したイエスとの体験
ダマスコ途上でのパウロの体験は、パウロを回心させました。神への悔い改めとイエスへの信仰への覚醒です。パウロにとってイエスは神に呪われて十字架上で死んだ罪人でした。しかし、神はイエスを死者の中からよみがえらせて公に神の御子として示されました。キリスト者たちの証言こそが正しく自分が間違っていたことを、イエスによって説き伏せられたのです。
「…最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。」(Ⅰコリント15:8)

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...