2019年6月30日(日) 第5主日
「あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21章22節)
1.最後の証人となった使徒ヨハネ
主イエスの使徒たちは、主の御名のゆえに、ほぼ全員が殉教を遂げました。ゼベダイの子で使徒ヨハネの兄弟ヤコブはヘロデ・アグリッパ1世(44年没・ヘロデ大王の孫)により剣で殺されました。大使徒とも評されていたペテロは、ネロ皇帝下で殉教したと言われています。そんな中、最後の生き残りの証人なったのが使徒ヨハネです。その大きな目的は、聖書66巻を完成させるために神が用いたことです。ヨハネ福音書、ヨハネ黙示録、Ⅰヨハネ Ⅱ、Ⅲの手紙がそれです。
2.神の愛を知ったヨハネ
ヨハネは、その福音書中で、自分のことを「イエスが愛された弟子」(21:20)と言い、それを証拠づけるように、最後の晩餐ではイエスの側近の座(右の座)にいたと紹介しています。「神は愛です。」(Ⅰヨハネ4:16)「私たちに愛がわかったのです。」(3:16)いずれもヨハネの言葉です。神がまず私たちを愛されました。その愛は、ひとり子を賜ったほどの愛です。その愛はイエスによって知る事ができました。今度は、私たちが神を愛するようにと促されます。神を愛するとは、主にある兄弟姉妹を愛することです。そして、自発的に主イエスに従って行くことです。
3.愛に答えて従ったヨハネ
ヨハネ福音書は、イエスの愛に答えて、主に従って行く二人の弟子、ペテロとヨハネとの絡みつきで閉じて行きます。ペテロは、イエスから「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と問われる事、三度でした。応答の後にイエスに従い行きました。他方、ヨハネも同じく、イエスの後に従いましたが、言われて従う弟子ペテロとは違い、自ら進んで従いました。「わたしに従いなさい」との御声を、自分への招きの言葉として受けとめたのです。私たちも、同じようにして、ある時代のある人々への神の語りかけが、自分たちへのものでもあることを知っています。
2019年7月1日月曜日
2019年6月23日(日) 第4主日
『あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。』(ルカ15章10節)
誰かに喜ばれていることを知る時に、嬉しくなります。逆に嫌われていると思うと、辛く悲しいものです。小さな子どもたちが、喜んで大人のお手伝いをする姿を見ると、幼い時から、人のために役にたつことは楽しい事だと知っているようです。人からの最高の声掛けは、次の言葉だと思います。
―また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」―(マタイ3:17) この声かけは、主イエスへの天から聞こえた声です。愛するがゆえに、その存在自体が喜びである、そう言葉にして告げる、これが主イエスと天の御父とのご関係です。
主イエスは、人に嫌われ、ついには、十字架につけて殺されたお方です。
病を癒し、死者を甦らせ、食べ物を与え、ひたすらに人に仕え、与え続けられたお方なのに、死の他は何も報いがありません。それでも、主イエスの天の父である神に喜ばれる事をし続けられました。ついには、私たちの罪の身代わりのためにとご自分のいのちを捨ててくださいました。終わりまで天の御父の御こころを行い、神に喜ばれる道を歩まれたのがイエスです。
私たちが、生きる意味を知ろうとするならば、第1番目に、私たちを創造した神、私たちを愛し、ひとり子を与えて下さった唯一の神を信じる事から始まります。良い行いによってではなく、御子イエスを信じる者を、あたい無しで赦すことができる神を信じることです。その時、神が私たちの罪を赦し、義と認めてくださいます。神に愛される、子どもとなります。
『あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。』(ルカ15章10節)
人はなぜ生きるのか
誰かに喜ばれていることを知る時に、嬉しくなります。逆に嫌われていると思うと、辛く悲しいものです。小さな子どもたちが、喜んで大人のお手伝いをする姿を見ると、幼い時から、人のために役にたつことは楽しい事だと知っているようです。人からの最高の声掛けは、次の言葉だと思います。
―また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」―(マタイ3:17) この声かけは、主イエスへの天から聞こえた声です。愛するがゆえに、その存在自体が喜びである、そう言葉にして告げる、これが主イエスと天の御父とのご関係です。
主イエスは、人に嫌われ、ついには、十字架につけて殺されたお方です。
病を癒し、死者を甦らせ、食べ物を与え、ひたすらに人に仕え、与え続けられたお方なのに、死の他は何も報いがありません。それでも、主イエスの天の父である神に喜ばれる事をし続けられました。ついには、私たちの罪の身代わりのためにとご自分のいのちを捨ててくださいました。終わりまで天の御父の御こころを行い、神に喜ばれる道を歩まれたのがイエスです。
私たちが、生きる意味を知ろうとするならば、第1番目に、私たちを創造した神、私たちを愛し、ひとり子を与えて下さった唯一の神を信じる事から始まります。良い行いによってではなく、御子イエスを信じる者を、あたい無しで赦すことができる神を信じることです。その時、神が私たちの罪を赦し、義と認めてくださいます。神に愛される、子どもとなります。
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