『あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。』
(ユダの手紙24、25節)
ただ、神を恐れよ
「空の空、すべては空」エルサレムでの王、ダビデの子ソロモンは、若者たちに向けて書き残しました。万事は、捕らえたと思っても、するりと逃げて行く風のようだ。夢を抱き多くの計画を口にしたところで、無駄に終わる。労苦には終わりはなく、最期にはすべての人は裸で世を去るのだから。勢いのある成長戦略に対し大きく制御をかける王の指針です。
神への礼拝姿勢についても内省を促します。「神の宮に行くときは、自分の足に気をつけよ。」神殿に赴く回数が増すと、中身のない空しい礼拝が繰り返されて行きます。主イエスの招きを聞きましょう。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)
神の律法を近寄って聞く人は、悪事を悔い改めないで犠牲を捧げている人に勝ると断定します。主イエスを、忙しくもてなすマルタの不満は、手伝いもせずに、じっとイエスの言葉に傾聴するマリヤに向けられました。いずれが神に喜ばれるのでしょうか。
祈りについても、「軽々しく、心あせって言葉を出すな。」ことばの多さについての注意です。神はいと高きところにおられる存在です。人は地にいる小さな存在であることを自覚せよと。主イエスも繰り返しの多い空しい祈りを注意されました。「ことば数が多ければ聞かれると思っている。」
ソロモンは大切なのは、「ただ神を恐れよ」(伝道者の書5:7)そう繰り返します。神を恐れるとは、神を聖とすることです。神を、他のなにものからも分離し、もっとも高くあげることです。
「唯一の神」を告白することは、私たちの救い主である神を、この世の生み出した神々の中に決しておかず、混同もしないことです。唯一の神の栄光、尊厳、支配、権威を知って、私たちが応答することです。褒め称え、従い、高くあげることが神を恐れることです。