2018年11月5日月曜日

2018年10月28日(日) 第4主日

しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
ヨハネ11章50節~52節
                
 大祭司カヤパはイエス時代のエルサレム神殿での最高聖職者です。その人はイエス殺害提案をした人です。国家、国民の保全保障のためには、イエスの死が、時の権力者ローマへのなだめの効果をもたらし、結局は得策になると言いました。政治レベルでの発想でカヤパは言ったつもりが、主イエス様に限っては、神の救いの計画の預言となったのです。
政治レベルでは、多くの人が困窮しているのに、一部の人のみに富みが集中している場合の得策は富の再分配です。悪しき王が国民を蹂躙し多くの国民が苦しんでいる時の得策は政権打倒でしょう。国家安全という大義のためには軍備増強は正論でしょうか。国にお金がない時、国民の負担を増すのは国策です。何が得策かのせめぎ合いの場が政治です。
個人レベルでは、10人前を11人で分けるのは解決策です。レギュラーポジションは分割できないので争いになります。相続財産争いがあるのは、互いに分けあうのが不得手な証拠です。誰が得かで違いがでます。

 一人の人の犠牲が多くの人を救いうることは、塩狩峠で客車の暴走をくいとめるために自分の命を犠牲にしたキリスト者永野信夫がその良い例です。
大祭司カヤパは、大所高所の視点から、国家、国土、神殿の保全のためには、イエスの殺害は得策だと言ったつもりでした。しかし、神の視点でとらえれば、神の御ひとり子イエスの、一度かぎりの犠牲は、万民を救うためになる、最善至高の方策なのです。神の怒りと裁きによって滅びるばかりの国民を、救い出す方策は、御子イエスの十字架による死です。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...