『天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを渡し、それから旅に出かけた。5タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに5タラントもうけた。』マタイ25章14~16節
主が来られるとき
主イエスは、例えを用いて再び来ることを語られました。ある主人が旅に出るにあたり、しもべたちに資金を渡して、どう用いるかを楽しみに出発しました。5タラント、2タラントを能力にしたがって預かったしもべたちは、早速出かけて商売をしました。やがて主人は戻って来て、清算をし始めました。二人は倍に増やしました。「よくやった良い忠実なしもべだ。」と言って主人は喜び、更に多くをまかせることにしました。
ところが、1タラントを預かったしもべは、地に埋めて隠しておいたものを、掘り出して主人に返しました。強欲で非情な主人だと知っていたので、恐れてそうしたのだと弁明しました。主人は答えました。「役に立たないしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
たとえの意味を考えてみます。タラントを預けて旅に出た主人とは主イエスをさしています。主イエスは必ず戻ってこられます。その時は、喜びの日です。労苦し、忍耐し、主に仕えてきたキリスト者に、主イエスからの報いと喜びの言葉かけがなされます。「よくやった良い忠実なしもべだ。」「主人の喜びをともに喜んでくれ。」
主イエスから弟子たちに賜ったものがあります。罪の赦しの福音と呼ばれるものです。約束の聖霊を賜りました。そして、完全なる神の言葉、聖書を賜りました。神の言葉、福音、そして聖霊です。賜ったものは、はかり知ることもできない尊いものです。その尊さを知っている者は、地中に埋めて隠しておくことなどするはずはありません。また、それをお与えになった方が誰であるかを知っています。主は恵み深く、あわれみ豊かなお方です。
役に立たないしもべは、主イエスの憐れみも恵みの富も知りません。主イエスを、悪く言う者が、主のしもべであるはずがありません。主イエスのために働く喜びを知らないどころか、人生における損失だと思うでしょう。
主イエスを喜ぶ人は、自発的に主のためにお仕えしたいと願います。主が喜んで下さることが、自分の喜びです。ただし、主の働きを託してくださったことへの感謝を失うことがありませんように。また、主から託された責任が重荷とはなりませんようにと願います。
使徒パウロにとっては、福音宣教は、負債を返済すことであって、なすべき第1番目の責務と考えました。