2020年2月3日月曜日

2020年1月19日(日) 第3主日

『天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを渡し、それから旅に出かけた。5タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに5タラントもうけた。』マタイ25章14~16節

主が来られるとき

 主イエスは、例えを用いて再び来ることを語られました。ある主人が旅に出るにあたり、しもべたちに資金を渡して、どう用いるかを楽しみに出発しました。5タラント、2タラントを能力にしたがって預かったしもべたちは、早速出かけて商売をしました。やがて主人は戻って来て、清算をし始めました。二人は倍に増やしました。「よくやった良い忠実なしもべだ。」と言って主人は喜び、更に多くをまかせることにしました。
 ところが、1タラントを預かったしもべは、地に埋めて隠しておいたものを、掘り出して主人に返しました。強欲で非情な主人だと知っていたので、恐れてそうしたのだと弁明しました。主人は答えました。「役に立たないしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
 たとえの意味を考えてみます。タラントを預けて旅に出た主人とは主イエスをさしています。主イエスは必ず戻ってこられます。その時は、喜びの日です。労苦し、忍耐し、主に仕えてきたキリスト者に、主イエスからの報いと喜びの言葉かけがなされます。「よくやった良い忠実なしもべだ。」「主人の喜びをともに喜んでくれ。」
 主イエスから弟子たちに賜ったものがあります。罪の赦しの福音と呼ばれるものです。約束の聖霊を賜りました。そして、完全なる神の言葉、聖書を賜りました。神の言葉、福音、そして聖霊です。賜ったものは、はかり知ることもできない尊いものです。その尊さを知っている者は、地中に埋めて隠しておくことなどするはずはありません。また、それをお与えになった方が誰であるかを知っています。主は恵み深く、あわれみ豊かなお方です。
 役に立たないしもべは、主イエスの憐れみも恵みの富も知りません。主イエスを、悪く言う者が、主のしもべであるはずがありません。主イエスのために働く喜びを知らないどころか、人生における損失だと思うでしょう。
 主イエスを喜ぶ人は、自発的に主のためにお仕えしたいと願います。主が喜んで下さることが、自分の喜びです。ただし、主の働きを託してくださったことへの感謝を失うことがありませんように。また、主から託された責任が重荷とはなりませんようにと願います。
 使徒パウロにとっては、福音宣教は、負債を返済すことであって、なすべき第1番目の責務と考えました。

2020年1月12日(日) 第2主日

『主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束をことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』(ペテロ手紙第Ⅱ 3章9節)

いつ主は来られるのか 

 世界の終わりと主イエスの再臨に関して、マタイ伝24章25章に記されています。きっかけは、エルサレムにあった神殿崩壊への先見から始まりました。そこから弟子たちに世の終わりにのぞみ、多くの忠告と心備えを語られました。そのひとつが、10人のブライダルメードの娘の例えです。

 主イエスの再臨が結婚式に例えられているのは、その日はキリストを信じた者たちすべてにとって、晴れの日であり、待ちに待った瞬間であるからです。覆われていたベールがとられ、ついに花婿キリストと結ばれる時が来て宴が開始されます。
「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。」(エペソ5:32)
「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」(黙示19:9)
 
 主イエスのたとえには、婚礼の宴に入れずに、戸の外で開けてくださいと嘆願する人がいます。(マタイ25:10、11)愚かな5人の娘(ブライダルメード)たちです。花婿が夜遅くに家に迎えに来た時、ともしび(トーチのようなもの)の油を切らしてしまいました。花婿の到着が遅延した時に、油を用意をしておいた5人の娘は、花嫁と共に祝宴の席に入って行きました。賢い娘と愚かな娘とイエスは呼んでおられます。
 
 神の言葉を聞いてそれを実践する人が賢い人だと定義されています。愚かな人はその逆となります。(マタイ7:24~27)この例えでの神の言葉とは、「いつ来られるか、知らないからです。」(マタイ24:42)「思いがけない時に来るからです」(マタイ24:44)その言葉の通りに実行した人は、油を用意しておきました。愚かな人は自分の判断で時を定めた結果、油への備えを怠りました。10人娘たちは共に時を過ごしていたとしても、すべての人が天国の宴に入れないとは厳しい話です。それどころか半分に分かたれます。主の再臨は幸いな日でもあるが、嘆きの日でもあります。真に神の言葉を信じて行っていたかが試されます。

 愚かな娘たちとはだれなのでしょうか。「確かなところ、私はあなたがたを知りません。」(マタイ25:12)遅れて後から来た人は、花嫁との同行者ではないので、知らないと拒まれました。キリスト・イエスを信じる信仰だけが、主イエスの再臨の時に救いが保持される保証です。油なしでは火が消えます。イエスを信じたものだけが、宴に入れるのです。10人いても半分は祝宴に入れなかったとは、用心しておくべき主イエスの説教です。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...