2023年5月7日日曜日

 2023年4月23日(日) 第 4主日

『一人の罪びとが悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。』(ルカ 15章  10節)

 失われた一匹の羊を捜して連れもどした羊飼いの話と、なくした1枚のドラクマ銀貨を捜して見出した女の人の話をイエスはなさいました。その目的は、失われたひとりの罪びとを捜して救い出すためにイエスが来られたこと。そして、罪びとと呼ばれる者との食事は、見出された喜びを共に祝っている宴席だと教えられました。銀貨 1枚、羊 1頭でさえ見つかれば近所の人と喜び合うのだから、失われた人が連れ戻されたのだから、その喜びはいかばかりでしょうか。それを伝える第 3弾の例え話は、戻って来た放蕩息子です。

 父に財産をねだり遠国へと旅立った息子は、放蕩三昧の末にどん底に落ちてしまいました。空腹で目の前の豚の餌さえも欲している自分のみじめさに目が覚めました。軽んじていた父の家だったが、そこに在る恵みの豊かさに気づきます。それ以上に、天の神への反抗の罪を悔い改め、来た道を引き返しました。神を神として崇めず感謝もせず、それ故にその心は空しくなりました。美しく見えた物は虚像であり、成れの果てが、みじめな罪人です。

 イエスが天の御父より遣わされ世に来られた目的は、失われた一人を捜して救うためです。御子をこの世に遣わされたのは天の御父です。イエスが教えようとされたのは、天に居ます御父の罪びとへの愛と赦しです。

 父の元から遠国に行き放蕩三昧の果てに、どん底に陥った息子は、目が覚めて悔い改めました。悔いた遜りの心で父の元に向かいました。すると
「まだ、家まで遠いのに父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」咎め立てせず、一切を赦し受け入れてくださいました。御父はイエスを世に遣わした程に世の人々を愛しておられます。

「かけよって」の一言は、その立ち返る姿を見て天の御座から身を乗り出すかのようです。放蕩した息子が言ったように、
「私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。」
人が犯す罪とは、そのように天におられるイエスの御父への罪です。御子イエスを通して、悔い改めて許しを願う者を御父は必ず受け入れてくださいます。更には、神の子どもとなる大いなる特権が与えられます。天の御父のそばにいる御使いと共に喜び祝ってくださいます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...