2018年6月2日土曜日


2018年5月20(日)第3主日

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
(ヨハネ章5~6節)

                     しるしか満腹か

イエスが、旅の疲れをいやすため、サマリヤの井戸のかたわらに腰をおろしておられました。そこに水を汲みに来た女性に「わたしに水を飲ませてください。」と言われました。飲み水のことからイエスは始めて、とこしへに渇くことのない水、「永遠のいのちへの水」のことに話は進み、ついには、サマリヤの多くの人がイエスをキリストと知るにいたります。

 ヨハネ6章では、今度は、パンのことから始まり、群衆はイエスが増やしたパンにあずかります。しかし、なくなるパンを求めて押し寄せる人々に、いつまでも保ち、永遠のいのちの食物を求めることを語ります。神が今、与えているパン(天よりのマナ)、それはイエスご自身であると宣告されます。「わたしがいのちのパンです。」パンは麦の粉からできます。イエスが言われたいのちはパンは「わたしの肉,わたしの血」によります。そこまで説教を聞いた弟子たちの多くは、聴くに堪えがたいとして、離れて行きました。

 少年が持参していたつのパン、匹の魚、イエスは、確かに5000人以上の群衆に分け与え、満腹にさせ、なおも12のかごに余りました。それは、単なる窮乏者への救済措置ではありません。「しるし」なのです。天の父が荒野の民になさったマナと同じで、神が目の前でしておられる御業です。さらに、その意味合いは深く、イエスが自分のいのちを多くの人のために文字通り、割いて分かち与えることを指しています。パンは一時のいのちの糧です。イエスの与えるいのちは、永遠のいのちです。そのようにパンのしるしを見た群衆は、イエスのところに来るはずでした。

 人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、無理やりにつれて行こうとしているのを知って・・。」
 パンと水を与えるイエス価値は、自分の都合の良い供給者です。永遠の命よりも、今のいのち。天の御国よりも、今がすべてになってしまっています

2018年5月6日(日) 第1主日

  『あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。』
(ヨハネ5:39、40)

 
父である神と聖書が証言するお方

 今週の10日(木)はイエスの昇天日になります。4月1日イースターから50日目になります。イエスは十字架にかけられ、命を捨て、墓に埋葬されて3日目の日曜日朝早くに復活されました。それから多くの人々にご自分を示されました。3度も弟子たちはイエスとまみえることができました。こうして弟子たちは復活の証人となりました。天の父がイエスを死者の中から甦らせて、公に神の御子であることを示されました。復活の証人とは、単にイエスが復活した出来事に遭遇しただけではありません。そこに、父である神の大能の力を見出し、確かに神の御子であることを理解した者のことです。復活は栄光の姿への甦りであるであると同時に、神の偉大な業であり、神のイエスについての確かな証言なのです。これにまさる神による証明はありません。

 イエスは言われます。「もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありません。」(5:31)イエスが神の御子であり、神から遣わされたまことの救い主であることの証言者は、イエスの父である神です。「わたしを遣わした父ご自身がわたしについて証言しておられます。」(5:37) お父さんが息子であることをあかししておられます。イエスのなさる数々の御業は、神の業と完全に合致しています。万物に命を与える神は、人にもいのちを与えるお方です。イエスもまた死人をいかし、与えようとするものにはいのちをお与えになりました。死んだラザロは甦りました。それどころか、「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出てくる時がきます。」

 
イエスを証言するものが他にもあります。旧約聖書です。「あなたがたは聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(5:39) 聖書は私たちをイエスのもとへと導きます。聖書を読みながらも、イエスの所へと行こうとしない者へのイエスの御言葉はこうです。「それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(5:40)旧約聖書中で名だたる神の器と言えばモーセです。そのモーセの書もまた、「モーセが書いたのはわたしのことだからです。」(5:46)聖書それはイエスについてのもっとも尊い証言の書なのです。いのちの君イエスのところへ行きましょう。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...