2018年9月8日土曜日


2018819日(日) 第3主日
「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。」
ヨハネ8:29

「あなたはだれですか。」
"Who are You?(ヨハネ8:25)英語の勉強で習いました。「どちら様ですか。」程度ならば使いますが、人の本質を問う意味合いを込めて「あなたは誰か」と使うようなことはめったにありません。
イエスに問うたのは、イエスがキリストであるかどうかの質問です。ユダヤ人でありながら、ラビのようでありながら、ガリラヤ人でありながら、人でありながら、まったく異なる御方「あなたはだれですか。」イエスは言われます。「わたしは世の光です。」(8:12)

あなたはどこから来たのですか。
イエスは自ら言われます。「私が来たのは、上からです。」(ヨハネ8:23)よって、イエスは「わたしはこの世の者ではありません。」と断定されます。「わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。」(8:42)イエスの出どころは天にあります。そこから天の神がイエスを地上に遣わされたのです。

あなたはどこへ行くのですか。
人には定まった道があり、そこに向かって行きます。しかし、イエスの道は異なります。「しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、また、どこへ行くかを知りません。」(8:14)イエスの地上最後は、天にあげられ、弟子が見ている間に昇って行かれました。イエスは、復活の御体で、元おられた場所へとお戻りになりました。

あなたの父はだれですか。
イエスは言われます。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。もし、あなた方が私を知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」(8:19) イエスが父と呼ぶお方とは、天にいます神のことです。イエスは、永遠から父と共におられた唯一の御子なのです。(1:14)

あなたは父アブラハムより偉大なのですか。
イエスは言われます。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アバラハムが生れる前から、『わたしはある』のです。」(8:58)2017年版訳)ついにイエスの本質が告げられます。永遠から永遠にわたり存在されている、生けるまことの神ご自身です。

201885日(日) 第1主日

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネ812節 
               いのちの光
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119105) 夜道に足元を照らすランプが聖書世界の道具でした。手のひらにのる程の小さいランプは、弱い光に過ぎません。車のヘッドライトは猛スピードで暗闇でも走れるように遠くを強く照らします。でも、一歩一歩ゆっくりと歩むには、ランプで十分で、遠い彼方よりも、より近い、足下を照らしてくれます。
 
旧約聖書の律法の役割は、正しい歩みを指し示す、足元を照らす光です。それを見ながら、確認し、一歩一歩歩んでいくことができました。これが旧約時代の信者に神が与えた光です。暗闇と邪な世界から信者を守る灯りは、手程のランプに表現されるように、弱い光ではあるが、確かな啓示の光です。それが詩篇のお言葉で歌われています。では、今はどうでしょうか。

「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:16) ランプの光で会ったのが、突然「偉大な光」の時代到来です。主イエスが、ガリラヤにおいて宣教を開始された時、啓示の光が闇に住む人々を上より照らしました。

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12) 偉大な光、世界の光、それは主イエスご自身です。主イエスは、生ける神の御言葉そのものです。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)はっきりとした道が見えます。イエスの父である神に近づく唯一の道です。この道は、はっきりとしめされています。目をあげると天国が見えます。天の父がおられ、御子イエスが栄光の御座におられる場所です。
イエス・キリストを通して、誰もが、そこに至る事ができます。

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...