2025年3月16日(日) 第3主日
『祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。』(テトスへの手紙 2章13節)
希望の福音
「永遠のいのちの望み」とは究極的には、新天新地を相続する約束のことを指しています。そこに至る前に、もう一つの大きな望みが待っています。
「イエス・キリストの栄光ある現れ」つまり、私たちを贖ってくださったお方を、この目で仰ぎ見るその日のことです。その日は「祝福されたのぞみ」と言われる日で、花婿が花嫁を迎えに来て、ついに婚礼の宴に招き入れられる日のようです。キリストは聖徒を迎えるために再び来られます。
主イエスが来られる日、聖徒たちは、たちまち主の御許へと携え上げられます。すべての聖徒たちは甦り、主イエスが死に勝ったと同じ復活の体へと変えられます。罪なき体、永遠の命に生きるために備えられた体が与えられます。その体をもって新しい天と新しい地を相続しています。誰もが栄光の姿に造り変えられ、主イエス・キリストに似た者となるのです。祝福はここに極まります。
「主イエスの栄光ある現れ」とあるように神聖な栄光の輝きを放ち来られます。
「人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」(マタイ 24:30)
「主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。」(Ⅱテサロニケ 1:17)聖徒にとっては祝福の日ですが、福音に従わない者にとっては裁きの日です。
主イエス様の再臨を待ち望むことは、聖徒たちを励まし、清潔を保つこと関係します。
「このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として平安をもって御前にでられるように励みなさい。」(Ⅱペテロ 3:14)
放蕩や眠りに陥るのは、主人の帰りは遅いと思うからです。
私たちが、主イエス様の再臨を告白しないならば希望を見失います。確実に世の終わりへと突き進んでいます。核の火種をかかえながらの紛争や戦禍による食糧難からくる物価高騰。かたや市場を折檻している物欲主義と富の一極集中化は大バビロン到来への道備えです。分断と対立をあおるばかりの社会構造の中で徐々に愛することが奪い去られて行きます。しかし、私たちは、主イエス様の大いなる栄光の輝きの現れの日を待ちます。