2023年3月2日木曜日

 2023年1月29日(日) 第 5主日

『イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことのできない女の人がいた。イエスは彼女を見ると、呼び寄せて、「女の方、あなたは病から解放されました。」と言われた。そして、手を置かれると、彼女はただちに腰が伸びて、神をあがめた。』(ルカ 13章10~13節)

解放

 「曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。」(伝道者の書 1:15)
この言葉は、老いと人の終わりを指しています。アダム夫婦が神の戒めに違反したことで受けた、変えることのできない人類全体の運命と言えます。

 神のなさることはすべてが義です。生きる上での苦しみや死もまた神が人に与えたもので神の義と原罪を示しています。この災いとも言える出来事を通して、罪を犯すことにブレーキがかかり、回心にさえ導きます。人が弱くなる時に、神の力が表されます。義人ヨブは、突然襲った苦難の中でも、こう言いました。「主の御名はほむべきかな。」(ヨブ 1:21)

 サタンは、人を支配する道具として苦しい目にあわせます。主イエスと共に安息日に会堂にいた一人の女性がそうでした。18年もの間、本人から自由を奪って拘束しました。上を見上げる人生を失い、下を向いて生きるしかありません。まるで犯罪者が拘留されるように、このアブラハムの子孫の一人を、サタンが閉じ込めておいたのです。

 イエスは彼女を見ると、呼び寄せました。解放の宣言をし、手を置くと、彼女はただちに腰が伸びました。解放された女性は「神をあがめた」のです。目を天に向け、まっすぐに主イエスを見て、神をあがめました。

 この出来事は、安息日論争を引き起こしました。偽善者が定めた安息日規定は、人々を拘束することはあっても解放を許しません。しかし、キリストが来て解放をもたらし、安息をもたらしました。

 エジプトにおける奴隷時代には神の民は、腰を屈めて労役に服しました。この苦しみの中での叫び声を、神は聞いて救い出されました。エジプトから呼び出して約束の地、安息へと導かれました。

 キリストは、私たちを呼び寄せて、救い出してくださいました。頭をあげて天の御座を仰ぐ時、私たちのために死に、復活され、神の右の座にいて執り成してくださる主イエスがおられます。

2023年2月26日日曜日

 2022年12月4日(日) 第 1主日

『イエスは群衆にこう言われた。あなたがたは、西に雲が出るのを見るとすぐに、「にわか雨になる」と言います。そしてそのとおりになります。また南風が吹くと、「暑くなるぞ」と言います。そしてそのとおりになります。偽善者たちよ。あなたがたは地と空の様子を見分けることを知ってしながら、どうして今の時代を見分けようとしないのですか。』ルカ 12章54節~56節

時代のしるし

 聖書世界では、地中海上に雲がわけば雨が降り、南のネゲブ砂漠から風が吹けば熱波に襲われる。これは外れることがなかったようです。
 カルメル山頂から見えた手程の雲を預言者エリアは指示して3年に及ぶ旱魃は終わり、大雨が降ると宣告しました。(1列王記 18:44)大雨被害を避けて急いでエリアと一行は下山したと書いてあります。迷信とは違い、確実な兆しとして主イエスの時代にも知られていました。

 預言者イザヤは熱風にたちまち枯れる草花を例えにしてエルサレムと民族の苦難を告げました。
「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ 40:6)
南風が吹き、一瞬にして光景が変わる風土が背景の預言です。

 主イエスはこう言われます。
「偽善者たちよ。あなたがたは地と空の様子を見分けることを知っていながら、どうして今の時代を見分けようとしないのですか。」
干からびた時代を終えてついには恵みの大雨が降り始めます。キリストの到来は世界中に福音が広まり教会時代を迎える大転換期なのです。

 もう一方、熱風により草花がしおれるように、栄光が去る時代が来ました。エルサレムの破壊です。主イエスは言われます。
「次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ…一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。」
なぜ、そうなるのか。
「それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」(ルカ 19:44)
キリストが来られた時代の人々は、神であるお方のしるしを見ながらも、悟ることがありませんでした。天気のしるしは見抜けたのに。


2023年2月25日土曜日

 2022年11月6日(日) 第1主日

『主人が真夜中に帰ってきても、夜明けに帰ってきても、そのようにしているのを見てもらえるなら、そのしもべたちは幸いです。』ルカ 12章38節

待つこと

 人が生きる上での注意や警戒を促す説教を主イエスはされました。ある金持ちの畑が大豊作で、この先安心して暮らせると思ったその夜、突如として魂が取りさられてしまいました。天国につながる生き方をしてこなかった者には、すべてが喪失体験です。人が生きる上での最大の備えは、神が御子イエスを信じる者に与える、永遠のいのちを受けることに在ると信じます。
 次には、キリスト者への注意喚起です。
「あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」
神に会う備えをしていない人には、まるで寝ている間に盗人が来るようなものです。主イエスが来られる時に聖徒たちは、たちまち主イエスの御もとに携えあげられ栄光の体が与えられます。その力はどんな磁石よりも強く、世界中の聖徒はすべて地上からいなくなるのです。神の奪取とも呼べましょう。キリスト者は、その日を待ち望んでいれば、栄光の日、主の日の実現となるでしょう。

 キリストが来られるその時を待つ心備えが教えられています。
「主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。」
 キリスト者にとって、イエス・キリストは教会の頭であり主です。主イエスが御父の右の座からおいでになるのを待っています。聖徒たちは共に集い、祈りと賛美とみ言葉と、主の晩餐をし続けます。灯りをともしてご主人の帰りを待ちます。

 主のしもべたちは、イエスが戻られるまで腰に帯びを締めて働き続けます。気が緩み、油断しないように注意と警戒が必要です。

2022年12月22日木曜日

 2022年10月30日(日) 第 5主日

『むしろあなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。』ルカ 12章32節

神は与えるお方

 万物を創造した神は、これを養い続けておられます。動物園の象が1日に食べる量は200㎏から300㎏、食費は 1日 1万円にもなるそうです。群れなす鳥、海の生き物、小さな虫に至るまで、食べて生きています。極めつけは 80億にも増えた人の食料の心配です。稲田が減って雀がいなくなりましたが、烏(からす)は減りません。
「種まきもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。それでも、神は養っていてくださいます。」その鳥よりもはるかにまさる人なのに、約 10分の 1が深刻な食料危機に見舞われています。

 戦争と紛争の結果、難民や避難民が生まれ、生活基盤を失っています。ウクライナのような穀倉地帯での戦争は食料に影響をもたらします。環境破壊による地球温暖化の影響もあります。そして、富の一極集中による貧富の格差の問題があります。人的要因が大きいと言えます。
「父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。私たちの、日ごとの糧を毎日お与えてください。」と祈ることがキリストの教えです。今の世界は、来るべき御国が来るその時までの存在です。キリストが来られる時に、争いは止み、死も悲しみも過ぎ去り、1000年の間、地上に神の国がもたらされます。飢える者も渇く者もいません。戦争がなく、生き物の世界では獣が牙をむくことはありません。1000年が満ち、最終的には一切の悪が審判されます。ついに、古い物が去り、新しい天と新しい地に変わり、神が人と共に住んでくださいます。永遠の祝福に満ちた神の国が完成します。未来に約束された御国を受け継ぐ民、それがキリストに在る者たちです。
「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ 12:32)神は、御子イエスの命を、私たちの罪の代価としてお与えくださいました。今は聖霊を、私たちの助け主としてお遣わし下さっています。

2022年11月22日火曜日

 2022年9月18日(日) 第3主日

『私は生まれた時からあなたに抱かれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。私は多くの人にとって奇跡と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。私の口にはあなたへの賛美が、あなたの栄えが絶えず満ちています。年老いたときも、私を見放さないでください。私の力が衰え果てても、見てないで下さい。』
(詩篇 71:6~9)

胎内にいる時から年老いる迄

 私たちは、胎内で神によって直接の御働きにより成長しました。
「それはあなたが私の内蔵を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」(詩篇139:13)
その人となりもまた、胎内ですでに始まります。双子の兄弟ヤコブと兄のエサウとは、母の胎内にいる時から祝福継承の争いをしています。兄エサウのかかとをつかんだままヤコブは生まれてきました。やがて、長子の祝福を受け継ぐことになります。

 人が誕生した時に、母の胎から取り上げ、その子を腕に抱いたのは、神であると詩篇の作者は言います。私の人生の最初を知っておられるお方は、その後も、私は神に知られていました。「私は多くの人にとって奇跡と思われた。」詩篇の作者は自分のことを奇跡の人と言います。幾度も危険から守られてきました。その人生は、神を賛美し続ける人生でもあります。

 奇跡の人も年重ねて、力が衰え、年老いていく自分を見ています。栄えに満ちていた時代は徐々に過去のものとなって行きます。人から奇跡の人と評価を受けたはずが、孤独の人となっていきます。しかし、その時、神は私の神であり続けてくださいます。胎内の私を組み立て、出産のときにそこにおられて腕に抱きあげてくださった神。あらゆる危険から何時も守ってくださった避け所である神は、一生涯、私を担ってくださいます。

2022年7月11日月曜日

 2022年6月19日(日) 第3主日

『しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』(ルカ 10:2)

72人が喜んで帰って来た

漁師は、大量旗をかかげて戻ってきます。
狩猟の報いは、その肩にある獲物です。種まき労苦した農夫の報いは、刈り入れ時にあります。
 神の国を宣べ伝える者にも収穫の喜びがあります。主イエスによって派遣された72人は喜んで戻ってきてイエスに報告しました。
「主よ、あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえも私たちに服従します。」
伝道した弟子たち自身が誰よりその結果に驚きました。イエスの御名のもつ力に圧倒されました。悪霊どもでさえもが従うのです。

 イエスが天にあげられてからペテロとヨハネは、イエスの御名を用いてある人に命じました。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
するとたちまち立って歩きだしました。イエスの御名の権威が証された出来事です。

 罪の赦しは、イエスの御名によって与えられます。
「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」(ルカ 24:47)
信じた者が受ける父子聖霊の御名によるバプテスマもしかりです。

 キリスト者は、第1に喜ぶべきことがあります。たとえ主の弟子のように、蛇やさそりを踏みつけ、悪霊を追い出すことができたとしても、それで喜んではいけません。
「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
天国籍を有していることは何にもまさる賜物です。
「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス。キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ 3:20)
主イエスは、御父の元に行く日を待ち望みながら、十字架への道を歩まれました。


2022年6月3日金曜日

 2022年5月8日(日) 第2主日

『これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。』(ルカ 9章28、29節)

「イエスが祈る姿」

人は神に祈ります。神はみこころに適う願いを聞いてくださいます。ルカ福音書においてイエスは祈るお方です。また、祈りについてイエスほどに豊かに教えた方はいません。イエスにとっての祈りは、神ご自身とのお交わりそのものでした。御子が御父に祈る姿を弟子たちは幾度も目撃しました。

 バプテスマを受けた後にイエスは祈っておられました。
「イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、自分の上にくだられるのをご覧になった。」(ルカ 3:21、22)
その結果、聖霊が臨み、父である神のお声かけがありました。

 12使徒を選ぶに当たり御父に祈られました。
「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」(ルカ 6:12)
その結果、福音を伝えるために村々に弟子たちは派遣されて行きました。

 ご自分の受難と復活とを弟子たちに告知するに当たり祈られました。
「さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが一緒にいた。…人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらなければならないのです。」(ルカ 9:18)
弟子たちにも、自分を捨てて従うようにと教えられました。

 イエスが祈られたところ、そこが天国になりました。
「イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために山に登られた。」(ルカ 9:28) 
その結果、イエスは栄光に輝き、天国にいるモーセとエリヤと会見し、最後には天の御父の御声が聞こえました。

 イエスが祈られた後には、必ず、神のご計画が前進して行きました。ついには、十字架と復活と昇天、そして再臨へと神の救いの計画は進んで行きます。今も、主イエスは御父の右の座にいて執り成しをなさっています。


 2023年1月29日(日) 第 5主日 『イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことのできない女の人がいた。イエスは彼女を見ると、呼び寄せて、「女の方、あなたは病から解放されました。」と言われた。そして、手を置...