2020年4月2日木曜日

2020年3月29日(日) 第5主日

『そこで彼の言葉を受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、3000人ほどが弟子に加えられた。』(使徒2章41節)

その日3000人ほどが

バプテスマは主イエス・キリストを信じた者が、弟子として歩みだす第一歩です。いつ受けるのか、だれが受けるのかを使徒の働きから学びます。

誰が受けるのか
 使徒たちが語る説教を聞き、受け入れた人、つまり悔い改めて、神がイエスを死者の中からよみがえらせたことを信じた人です。たとえ神の御子を死罪に追いやる殺人の罪を犯したとしても赦されることを信じた人です。

いつ受けるか
「その日、3000人ほどが弟子に加えられた。」悔い改めてイエスを信じた者ならばすぐに受けることができます。バプテスマは救われるためではなく、信じたことのゆえに自ら進んで受けようとするものです。「私に従ってきなさい。」イエスは信じた者に招いておられます。弟子となることの第1歩、それがバプテスマを受けることです。

受けた結果は
「賜物として聖霊を受けます。」ダビデやサムエルなど特別な神の器には、聖霊が臨みました。今は、誰でもバプテスマを受けて主イエスの弟子となった者ならば、聖霊がその人のうちにおられます。聖霊にあずかっていない人は、生まれもったままで、肉の人にすぎません。

聖霊による一致
 バプテスマを受けた者たちの群れには、聖霊の与える一致と愛の結ぶ実がありました。主イエスの教えを聞き従いました。交わり、祈り、相互扶助、賛美、喜びがありました。外に向かっても未信者に福音を広めることをし続けました。その結果、救われて仲間に加えられる人が増しました。

2020年3月8日(日) 第2主日
            
エルサレムから

 主イエスが公にご自分をあらわし、神の国を伝えた地はガリラヤ地方です。ガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直されました。

 エルサレムには神殿があり、こぞってそこに上って行くのが常でした。ガリラヤは宗教的な光に乏しく、良い人材を生み出さない地として、低く見られていました。そここそが、主イエスのお働きが展開され神の栄光が顕われた地となったのです。預言の通りです。
「異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見た、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:15、16)

 神のめぐみの原則は、最もキリストから遠いと思われるところにも届きます。最も取るに足らないと思われる人が先に救われます。光は最も暗い所で輝きを放ち、水は最も低い所へと流れて行くのです。

 主イエスの使徒たちの時代となり、エルサレムへとその拠点は移ります。理由は主イエスが使徒たちに命じられたからです。
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(使徒1:4)
そこにおいて、弟子たちが集まり祈っているとイエスが約束された聖霊が遣わされて弟子たちの上に留まりました。使徒たちは、聖霊の力で、諸国からの大勢の巡礼者やエルサレムの人々に向けて、十字架につけて殺したイエスを神が甦らせられたこと。悔い改めよと大胆に語りました。このことは主イエスが告げておられたことです。
「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 エルサレム、そこで主イエスは十字架上で死なれました。そこにおいて万民の罪のために神の御子の血が注がれました。そここそ死者の中から栄光のお体へと甦られ、死に勝利した地。完全な贖いが成就された地から、罪の赦しの福音が全世界に広がるのはふさわしいことです。
「その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」(詩篇84:6)

 2024年3月31日(日) 第 5主日 『「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪びとたちの手に引き渡され、十字架につけられて、三日...