2018年3月25日(日) 第4主日
『父よ。時が来ました。』(ヨハネ 17章1節)
キリスト・イエスをもといとして今週は受難週です。教会歴では、今日の主の日は、棕櫚(しゅろ)の主日と呼び、主イエスがエルサレムにロバの子に乗って入城をされました。29日(木)の夜に弟子の足をイエスが洗い、食卓にともにつき、最後の晩餐をなさいます。過ぎ越しの祭りです。パンを裂き、ぶどう酒を与えて、あらかじめ主の死とその意味とを告げられます。その夜に園で捕えられました。30日(金)は、エルサレムの街なかを、自ら十字架を背負い、処刑場であるゴルゴタへと向かわれました。6時間の間、十字架上で苦しみの杯を飲みほし、ついに午後3時ごろ、父である神に霊をお渡しになりました。聖なる安息日に突入する日没までに、いそぎアリマタヤのヨセフが、自分の新しい墓に埋葬しました。主は葬りにおいては、富める者と等しくされました。番兵どもは墓を見張り続けました。理由は、イエスの遺体を弟子がうばいとって、復活したなどと言いふらすような事がないためでもありました。イエスの葬りの時から3日目の朝早くに、主イエスは甦られました。御使いの宣告は
「ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24:6)
今年は4月1日(日)の朝がその日となります。
その後、復活の主イエスは、弟子に三度ご自身をあらわされ、他にも500人以上の人々も復活のイエスと出会いました。40日間が過ぎた5月10日(木)にオリーブ山から弟子たちが見ているまに、天に昇って行かれました。御使い再臨の約束を告げました。10日後、5月20日(第3主日)、主の復活日から5旬目に、約束されていた助け主である聖霊が弟子たちの集まりの中に下られました。聖霊の能力を得てイエスの弟子たちは地の果てにまで、福音を宣べ伝え続けました。
「もし、キリストがよみがえられなかったのなら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(1コリント15:17)