2019年11月4日月曜日

2019年10月13日(日) 第2主日

「よく気をつけて、私たちの労苦の実をだいなしにすることなく、豊かな報いを受けるようになりなさい。」(ヨハネ第2の手紙 1章8節)

喜びがまったきものとなるために

 人への伝達手段は種々あります。電子メール、写真に動画、ライブカメラをもあり、情報量は増すばかりです。しかし、人と人とが直接会って語り合うのは、最も喜ばしいことです。
 ヨハネの第2の手紙で言われている通りです。
「あなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためです。」
 使徒パウロも同じで、ローマにいる聖徒たちに会いたいと願いました。幾度も妨げられた結果、ローマ人への手紙を書きあげました。

 主イエスの手紙はあるのでしょうか。パウロ、ヨハネの手紙はあるのですから。ヨハネの黙示録1章~3章には、ヨハネが代筆した、御父の右の座に着かれた主イエスからの七つの教会あての手紙が存在します。手紙が諸教会あてに届けられ、読み継がれて今に至りました。
 主イエスの地上での生涯においては、記された手紙はありません。もともと手紙は、直接行って会えない代わりの手段です。イエスは、行くべきところ、会うべき人のところへ、いずこでも行かれました。言葉である主イエスご自身が、手紙にはよらず、自分で赴かれました。エリコに住む取税人ザアカイの家に泊まり、お救いになりました。(ルカ19章)湖の対外ゲラサに住むレギオンに支配された男性の所に行って解放されました。

 主イエスは、しるしと不思議を行い、神の言葉を残されました。それを誤りなく、聖霊の導きによって書いたのが、福音書です。今や、全世界の国人に届いています。歴史を通じて、書き換えられることなく、紙とインクで書かれたものとして読み継がれています。
 福音書は、ある意味で主イエスからの手紙とも考えられます。なぜなら、主イエスは、今は天の父の御元におられて直接にはお会いできないからです。顔と顔とを合わせて会うその喜びの日まで、聖書は私たちへの神からの手紙です。やがて、主イエスと相まみえる時が訪れます。その時、喜びがまったきものとなります。

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