2023年9月8日金曜日

 2023年8月20日(日) 第3主日

『イエスは答えて言われた。「わたしはあなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」』ルカ 19章40節

王の入場 

 王位を授かって遠い国から戻って来た主人が、出かける前に10人のしもべたちに与えておいた10ミナで、如何に商売をしたのか報告を求め、それぞれに相応しい報いを与えるというイエスの例え話があります。報いとは別に、王に着くことを望まなかった国民に対しては厳しい審判をくだします。この例えには、将来、主イエスが王の王として諸国を鉄の杖を持って治める来臨の約束が語られています。もう一つには、例え話のすぐ後に続く、主イエスが王としてエルサレムに入場する出来事と繋がっています。

 弟子たちの一群は、イエスを王として認め、大喜びで神を賛美し、こう言いました。
「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
その賛美にふさわしく平和の君としてのイエスは、軍馬ではなく柔和なろばの子にのり、兵士を伴うことをせず主の弟子を伴い、王冠や剣を一切身につけず、喜びと賛美と平和のうちに現われました。まさに預言者が告げていた通りです。
 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろば。」(ゼカリヤ 9:9)
約束のキリストが王としてエルサレム来られたことのしるしは、「子ろば」に乗るお方です。

 子ろばの調達は、ユニークで神の方法です。主イエスはすべてを知っていました。子ろばが隣村に繋がれていること。二人の弟子が行って、それをほどこうとすれば、持ち主から問われたら、「主がお入り用なのです」と返答すべきことばの指示も事前に与えています。それどころか、昔、ゼカリヤにあらかじめこのことを神が告げておられました。神は御心の実現のために、子ろばを備え、ご主人の心を変え、乗り物を用意されたのです。王としての権威が見事に証される一言が「主がお入り用なのです」それ以上の説明を要しません。いやそれこそが、最大の説明であり必要性なのです。必要としてくださること自体が光栄なことです。果たしてオリーブ山を登り下りする勾配のある坂道を、イエスを乗せた子ろばが、全行程完遂できたのか…。

 イエスは、エルサレムに着き、最後には十字架の道へと歩まれます。そこにはイエスのたとえ話に出て来る、主が王であることを望まなかった敵が待ち受けていました。イエスが十字架にかけられた時「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてありました。主イエスは、まぎれもなく王として死なれたことを証しています。やがて王の王イエスは来られます。

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