2020年10月2日金曜日

2020年9月20日(日)第3主日

『「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」』(使徒の働き16章30、31節)

マケドニア人が救われた

幻を見て
 「助けてください。」と叫ぶマケドニア人の幻を見て、パウロとシラスは確信しました。神が福音を宣べ伝えるために、私たちを召しておられる地は、マケドニアだと。聖霊は時に幻によってみ心を示されました。

ヨセフの見た夢
 聖書中にヤコブの子ヨセフは、夢見る者と言われ兄弟たちから迫害されました。しかし、夢は実現し、兄弟たちは、やがてエジプトで高い地位についたヨセフの前に、ひれ伏しお辞儀をしました。

ダニエルの見た幻
 バビロン、メディア、ペルシャの王たちの時代に生きたダニエルは、数々の幻を見、時には王の見た幻を解きあかしました。ことに国の盛衰に関して先立って神がダニエルに示しました。その通りになりました。

幻の真偽
 「神は昔、・・多くの方法で先祖たちに語られました。」(ヘブル1:1)
神が本当に示されたのか、単なるその人の思いつきかは吟味されました。神が、ご自分で示したことのみ正典として残されました。

パウロが見た幻
 パウロが見た幻は、神からのものであったことは、マケドニアに行き明らかにされました。マケドニア地方第1の都市ピリピでは、主が備えられた人と出会いました。紫布の商人リディアとその家族が信じてバプテスマを受けました。しかし、ここでも妨げの力が働き、占いの霊につかれた人物が付きまとい、伝道の邪魔をし続けました。助けを願望したのはマケドニアの人だったのに、パウロとシラスの方こそ、「助けてください神様」と叫びたくなる状況です。ところが、暗い牢獄の中で、祈り、賛美の歌を歌っていました。

神の救出
 「すると突然」牢獄の扉があき、鎖がはずれて神の助けがのぞみました。
脱獄したと思い、責任をとって自害しようとした牢獄の看守は、その時に命救われました。イエスを信じ、家族ともにバプテスマを受けました。

マケドニア人が救われた
 パウロとシラスを牢獄に閉じ込めてさえおけば、福音は封印されるとサタンは思いました。しかし、神は助け主、救い主です。ご自分のしもべを助けるだけでなく、看守の命を助け、家族皆が信じてバプテスマを受けました。
 マケドニア人の幻、これは確かに聖霊からの答えでした。

2020年9月2日水曜日

 2020年8月30日(日) 第5主日

『私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人達も同じです。』(使徒の働き15章11節)

聖霊と私たち

 教会が異邦人世界に広まる中で、ねたみや迫害、サタンのいざないに加え、異なる教えによる攻撃がしかけられてきました。異邦人は、主イエスを信じるだけでは救われない。ユダヤ人のようになるべきだと説くものが現れました。ガラテヤ人への手紙では、福音を変えてしまおうとする者たちで、パウロ曰く「のろわれるべきです。」と言われている教えです。

 1.救いのために何をすべきか。

 マケドニアのピリピにある牢獄の看守が、パウロとシラスに尋ねました。「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:30)そして「すぐにバプテスマを受けた。」

 2.キリスト者がすべきこと

 使徒ペテロの説教を聞き、彼の言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、3000人ほどが仲間に加えられました。(使徒2:41)信じた人は、バプテスマを受けました。そして、主イエスの弟子となり、ひたすらに求めました。「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2:42)主イエスの教会に加えられた者たちは、み言葉を聞き、教えを守り、ともに祈りをしました。

 3.キリスト者が避けるべきこと

 エルサレムにおいて使徒たち長老たちが論議して決定したことがあります。異邦人教会あてに文書で通達されました。「聖霊と私たちは、次の必要なことのほかは、あなた方に、それ以上のどんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に備えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避けることです。これらを避けていればそれで結構です。」(使徒15:28、29)異邦人キリスト者が注意を払うべき事は、偶像と不品行と食物規定に関してのみです。その目的も、ユダヤ人との交わりが、そがれないためです。

 4.キリスト者がしなくてもいいこと

 アンティオキアに来て異なる教えを伝えるユダヤ人が言いました。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない。」(使徒15:1)真の割礼は聖霊による証印です。また、新しい創造です。モーセの律法(文字)のもとにはもはやなく、キリストに仕えるものになりました。パウロが言いました。「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)



 2020年8月23日(日) 第4主日

『あなた方がこのような空しいことを離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです。』(使徒の働き14章15節)

ルステラでの出来事

 1.野の花を見ても悟らず

 朝顔が、しぼんで開く仕組みを考案し、普及させたのは誰でしょう。原理は水分の利用にありますが、花びらをしぼめて開く仕組みと形状を考える必要性があります。朝顔が進化の過程で自らが体得したとすれば、幾何学を熟知していたことになります。合わせてプログラムをコピーして再生産する仕組みまでも造り出したことになります。考案、設計、施工、メンテナンス、デザインまで含めて、最初の朝顔が造りだしたと考えられるでしょうか。今の朝顔にまさる仕組みはありません。最高傑作です。

 主イエスは、野の花が、かくも綺麗に装っているのは、自己才能や労苦の結果ではなくて、天の父であることを教えられました。(マタイ6:28)

 私たちは、神の創造と悪の御業をいつも見続けているのに、どうして悟らないのでしょうか。神からの啓示はあっても理解する知恵がありません。

 2.歩けない人が歩いても悟らず

 新約聖書で歩けない人が、瞬時に立ち上がる三つの出来事を比較してみます。第1に主イエスの御業です。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると彼は起き上がり、すぐに寝床をたたんで・・・・。目撃者の反応は「すっかり驚いて、こんなことは見たことがない。と言って神をあがめた。」(マルコ2:11、12) 極めて健全な反応と神への応答だと言えます。神に栄光をお返ししました。

 第2は、使徒ペテロとヨハネが行った歩けない人の出来事です。「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒3:6)すると、おどりあがって、まっすぐに立ち、神を賛美しました。しかし、目撃者の反応は「驚き、あきれた」(使徒3:10)「なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」神に栄光を返したのは本人でしたが、周りは人の業だと見ました。

 第3に、使徒パウロとバルナバとが、ルステラで行った所の、歩けない人の出来事です。 「自分の足でまっすぐに立ちなさい。と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。」それを見た群衆は、「神々が人間の姿を取って、私たちのところにお下りになったのだ。」ギリシャの神々の顕現だと言って使徒たちに、いけにえをささげようとしました。空しいことです。

 3.福音を聞いても悟らず

 ユダヤ人は、神が人となった主イエスに躓きました。異邦人世界ルステラでは、人と神の明瞭な線引きがなく、使徒たちまでも神々にされてしまいました。福音は、万物の創造者が救いのために人となられたことを伝えます。神の御子イエスが世界に来て、罪の贖いのために十字架で死なれたこと、そして、三日目に復活されたことを伝えます。主イエスを、私たちの救い主として信じることが正しい応答です。

 

2020年8月5日水曜日

2020年7月19日(日) 第3主日

『弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。』(使徒の働き11章29節)

 双方向の交わり

 エルサレム教会は数々の苦難に遭遇しました。迫害による離散、ステパノの殉教、使徒ヤコブの殉教、使徒ペテロは殉教直前に、み使いによって救出されました。さらに、世界中を巻き込む、大飢饉に見舞われました。それでも、神のご計画は進展しました。
 現在、東アフリカ諸国ケニア、ソマリヤ、エチオピヤでは洪水とコロナウィルス被害に加え、バッタ(飛蝗)の大群が、前回よりもさらに大きな「蝗害」をもたらすと予測されています。食料飢饉に見舞われて行きます。
 
 ローマ皇帝クラウディウス(在位41年~54年)の治世に大飢饉がやってきました。事前に大飢饉の到来を、預言者たちが各地のキリスト者に伝えていました。一番遠くはアンティオキアまで行き、誕生したばかりの外国の教会の聖徒たちに、御霊によって語りました。
 聞いたアンティオキア教会は、どう受け止めたのでしょうか。御霊の言葉として受け入れ備えをしたはずです。飢饉が訪れた時には、困窮したユダヤの聖徒たちのために救援物資を送り届けました。この行為は、十字架の福音による、新たな関係性を表す大変意義深い出来事です。
 かつてユダヤ人と異邦人との間には、大きな隔ての壁がありましたが、今や十字架の福音によって取り除かれて、相互に深い交わりをもてるようになりました。それが、大飢饉のときに実践されました。異邦人の方から、ユダヤ人キリスト者に支援物資が届けられました。福音はユダヤ人から異邦人に伝えられ、支援物資は逆方向をたどったのです。双方向性の愛の交わりです。
 使徒パウロは異邦人との関係をこう語っています。
 「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。」(ローマ1:14)
 貸し借りで言えば、パウロの方が異邦人に対する債務者です。福音宣教は異邦人に恵みを分け与える施しではなく、返済義務の履行に過ぎないと言い、自らを低きにおいています。
 では、受けた側の異邦人回心者はと言えば、キリストの贖いにより自分の罪の負債を帳消しにしてもらった身です。福音を届ける側も、受ける側も等しく、神の恵みの前に低くなり、互いに仕え合う関係です。

 異邦人教会からユダヤ人教会に初めて支援の業がなされました。それが、世界的な飢饉の時でした。
 「異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので奉仕すべきです。」(ローマ15:27)
 このパウロの言葉をそのままアンティオキア教会は、実践しました。
 今日、世界的な規模の試練に見舞われていますが、主の御言葉の預言をどう聞くべきかを学ぶ聖書箇所です。
2020年7月12日(日) 第2主日

『さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアまで来ると、ギリシャ語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。』(使徒11:19~21)

アンティオキア教会の誕生

「アンティオキア」は、ローマ時代には、3番目に大きな都市でした。今は、トルコ共和国に属し、シリア・アラブ共和国との国境付近にあります。エルサレムから北へ500キロほどに位置します。
 この地に教会が誕生したことが使徒の働き11章に記されていますが、ここから福音はギリシャ語で語られるようになりました。新約聖書27巻すべてはギリシャ語です。イエスの弟子、マタイ、ヨハネが書いた福音書もそうです。福音がユダヤ人からギリシャ語圏に広まった結果です。
 聖書の言語翻訳数は698言語で、新約聖書のみでは1550言語数です。現在までに161か国、2617言語の聖書翻訳作業が進められているそうです。しかし、世界には7353言語があり、2億5000万人以上が母言語の聖書をもっていないそうです。[英国ウィックリフ聖書翻訳協会]
 主イエスが語り、使徒たちが伝えた福音が、ユダヤ、サマリヤ、ガリラヤのイスラエルを離れ、外国へと伝播しました。初めてできた外国人の教会、ギリシャ語の教会、それがアンティオキア教会です。日本語の聖書を手にし、私たちが読むことができるのも、福音が諸国民に伝えられたからです。
 
 福音がユダヤ人から外国人へと広まるのに、妨げがありました。一つには、食物規定により異邦人との親しい交わりの隔ての壁です。もうひとつには、ギリシャ語の壁でした。食べ物と言語の違いは、散らされたキリスト者たちが同胞以外の外国人に福音を伝えることの妨げになりました。
 その交わりの上での壁を超えたのは、ユダヤ人クリスチャンとは別のクレネ人(アフリカ北部)、キプロス人(地中海の島ギリシャ語圏)出身のキリスト者たちでした。異邦人が異邦人に福音を伝える時代の幕開けです。「約束の契約については他国人」(エペソ2:12)であった者が、キリストの十字架によって実現した両者の平和をもたらしました。
 

2020年7月6日月曜日

2020年6月28日(日) 第4主日

『聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数が増えて行った。』(使徒9:31)

 世界宣教の発動は、主イエスが約束されていた聖霊が臨むところから始まります。エルサレムの聖徒が増加する中、執事7人の選任により教会は整いました。6章6節までが、ひと段落です。「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常に増えて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」(使徒6:7)
 
 次の段階は、「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて・・」(使徒9:31)までです。執事のひとりステパノの殉教から始まり、エルサレム教会への大迫害と迫害者サウロの回心までの歴史です。散らされた聖徒たちは先々で福音を伝えました。使徒ペテロは、各地で誕生した聖徒たちの群れの支援のために巡回しました。
 
 ペテロの働きで特筆すべき出来事が記録されています。サマリヤでは聖徒たちに聖霊が与えられるように導きました。ルダに住む聖徒たちを訪問し、8年間床についていたアイネヤに出会います。「アイネヤ、イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして、自分の床を整えなさい。」すると彼はただちに立ち上がった。(使徒9:34)

 ルダにいたペテロのもとに、海岸沿いの町ヨッパから使いが来て「すぐに来てください」と頼みました。行って見ると、やもめたちから慕われていた愛の奉仕者タビタの遺体が安置されていました。ペテロはひざまずき祈ったのち、「タビタ、起きなさい。」(使徒9:40)と言いました。すると彼女は目を開け、起き上がりました。

 かつてペテロが見たイエスのなさったことを、そのまま行いました。主イエスは、中風で寝たきりの人に、「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」(マルコ2:11)すると彼は起き上がりました。ペテロとイエスとは、中風の人が治ったことは同じですが、ペテロにとっては「イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。」他方、主イエスにとっては、ご自分の権威において命じて治す行為でした。

 死者さえもが生き返らせられました。会堂管理者ヤイロの娘の遺体を前にしてイエスは「タリタ、クミ」(訳せば、少女よ。あなたに言う。起きなさい。)と言われました。ペテロも、「タビタ、起きなさい。」と言い、生き返りました。主イエスは、少女の訃報にも「恐れないで、ただ信じていなさい。」そう告げました。祈りなしで、「子どもの手をとって」その名を呼び、生き返らせました。ペテロは、神の前にひれ伏し、とりなしをして御業をなしとげました。目撃者の誰もが、ペテロではなく、主のイエスの御力によってなされたことを知りました。ペテロのした行為は、イエスを証するための業と言えます。ルダの人は完治したアイネヤを見て、「主に立ち返った。」(使徒9:35)ヨッパの人も同じく、生き返ったタビタを見て、「多くの人々が主を信じた。」(使徒9:42)
 
 ペテロは、その能力においては、まるで預言者エリヤのようです。大胆さにおいては
バプテスマのヨハネのようです。ガリラヤの漁師を召してイエスは、ご自分の器に造り変えて用いられました。これもイエスの御業です。

 
2020年6月14日(日) 第2主日

『行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないのかを、わたしは彼に示します。』(使徒9章15~16節)


選びの器
器が入用
 水を運ぶのには器が要り、泥水を捨てるのにもバケツが要ります。人を運ぶのでさえ乗り物を用います。ことばを届けるのに手紙が要り、手紙を届けるのに誰かの手足が必要です。神のことばを納めるのに書物が要り、それを読み解くのに誰かの唇が要ります。神は運び人を選ばれます。

 反対者サウロ
 使徒の働き第9章に、サウロの回心の出来事が記されています。著者ルカが、本人から直接聞いた証です。サウロは、キリスト教徒への反対派の急先鋒でした。最初の殉教者ステパノの時にも、殺害に賛同しました。なおもキリスト者迫害への意に燃え続けていました。「サウロは、なおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、」(使徒9:1)

 サウロの回心
 それは突然でした。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」(使徒9:4)
十字架で息絶えたはずのイエスが、彼に直接語りかけるのを聞きました。天からの光によって、目が三日間、見えなくなってしまいました。「目からうろこが落ちる」ようにして、サウロの視力は戻りました。そのように覆われていたものが取り去られ、復活された主イエスを知るに至りました。ここに世界宣教への選びの器、異邦人宣教の器が用意されました。

 神の選びの特徴
 第1に、愛と赦しに基づく選び。
 主イエスに対して反対し迫害している者を選ぶのは、敵を愛し、反対する者をも赦すことでなくてなんでしょうか。福音のメッセージを運ぶのに、多くの罪を赦された者こそが、イエスの御名による罪の赦しの福音を語る器となれるのです。反対者サウロもまた、大きな罪を犯した人です。
 
 第2に、神の大いなる恵みによる選び。
 以前のサウロの誇りは、ローマ市民権、生粋のユダヤ人、パリサイ派ガマリエルの門下で、厳格なユダヤ教律法主義者で、かつ、非常に博学でもありました。神の恵みやいつくしみよりも、人間の行いによって得られる義を追い求めた人です。そんな自分が「罪人の頭」であることに気づいたのです。神の恵みにより、信仰によって救われる福音を信じました。もはや、誇るべきものは、主イエスの十字架以外にはないと断言しています。
 
 第3に、選びと苦しみ。
 試練を受けたヨブ、荒野での試練を民と共に歩んだモーセの忍耐、自国の滅亡を預言し、亡国を味わう涙の預言者エレミヤ、義のゆえに斬首されたバプテスマのヨハネ。神に選ばれたパウロもまた、イエスの御名のゆえに幾度も苦しみを体験しました。イエスの焼き印をその身におびてさえいました。異邦人の使徒としての選びの器で、名前もパウロになりました。主の選びの器として、生涯、主の御名を運び行く歩みを全うしました。(ピリピ3章)

 2025年12月21日(日) 第3主日 『主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください。』 詩篇138篇8節  神の作品には、途中で放置されたままのものはありません。太陽、月、星、植物、生き物に至る...