2024年8月11日(日)第2主日
良い行いと良いわざ
良い行いとは、正しいことを行うことぐらいなら、誰でも知っています。律法を学んだ者なら特にそうです。その中でモーセの律法に従い安息日に労働をしないことは正しいことです。ところが、主イエスがその日に病をいやしたのを見て批判した者たちがいました。別の話では、強盗に襲われ瀕死のけが人を見ても素通りしたのはレビ人と祭司でした。神殿での神への奉仕を優先しました。律法の一つを守ることだけで正しいと思う誤りの事例です。もう一つの律法である隣人を愛することをしなかったのです。律法は、すべてを守ってこそ初めて正しいことを行ったことになります。律法の全部を知っていて全うできたお方がイエス・キリスト様です。人が、なすべき正しいことがあります。違反を認めて神と人とに対して、してしまったことを告白し、赦しをこうことです。放蕩息子の主イエスの例えは、その事例です。その点だけは、まじめな兄よりも神に対しては正しいことをしました。
主イエス様にとって、良い行いとは律法を全うすることだけでなく、良いわざを行うことです。
「わたしは父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。」(ヨハネ 10:32)
第1番目の良いわざは、「良いぶどう酒」の奇跡です。人は終わりに客が酔うのを見計らい悪いぶどう酒を出すものです。しかし、神の恵みは後の方が先のものにまさっています。預言者を送り続けた神は、ついに神の御子を世に送ってくださいました。福音を伝えた神は、ついに御国を完成されます。御父とはそのように恵みに恵みをお与えになるお方であることを示すこと、それが主イエスの業であり、正しいことをなすことです。
第2に、主イエスがなさった良いわざとは、いのちの水を与えることです。ヤコブの井戸は先祖が残した貴重な良いものです。
「この水を飲む人は、また乾きます。」
そう言って主イエス様は、いつまでも決して渇くことのない、永遠のいのちへの湧き水を与える約束をなさいました。御父は求める者に、水にもまさる聖霊ご自身を、お与えになりました。
第3に、主イエスがなさった良いわざとは、安息日に人を癒やすことです。38年病気の者に起きて床を取りて歩めと命じられ、その通りになりました。人は安息日だからと業を休みます。しかし、
「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」(ヨハネ 5:17)
いつも良いわざを、私たちのためにし続けてくださる天の御父に感謝します。
第4に、主イエスの良いわざは、パンと魚を与えて養うことです。それが5000人であろうと4000人であろうとも、パンがたった5つしかなくても祝福されたパンによって満たされました。そのわざは、天の父は野の花を見事に装い、鳥に食物を与えるお方であり、私たちにも最良のものを与えるのが御父であることを教えています。
「あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」(マタイ 6:30)
第5に、御父ご自身の側で主イエスになさった栄光の御業があります。十字架での死と葬りの後の復活です。神はイエスを死者の中から甦らせられました。こうして御父と御子が一体となって神の業がなされました。
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