2019年7月1日月曜日

2019年6月23日(日) 第4主日

『あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。』(ルカ15章10節)

人はなぜ生きるのか

 誰かに喜ばれていることを知る時に、嬉しくなります。逆に嫌われていると思うと、辛く悲しいものです。小さな子どもたちが、喜んで大人のお手伝いをする姿を見ると、幼い時から、人のために役にたつことは楽しい事だと知っているようです。人からの最高の声掛けは、次の言葉だと思います。

 ―また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」―(マタイ3:17) この声かけは、主イエスへの天から聞こえた声です。愛するがゆえに、その存在自体が喜びである、そう言葉にして告げる、これが主イエスと天の御父とのご関係です。

 主イエスは、人に嫌われ、ついには、十字架につけて殺されたお方です。

 病を癒し、死者を甦らせ、食べ物を与え、ひたすらに人に仕え、与え続けられたお方なのに、死の他は何も報いがありません。それでも、主イエスの天の父である神に喜ばれる事をし続けられました。ついには、私たちの罪の身代わりのためにとご自分のいのちを捨ててくださいました。終わりまで天の御父の御こころを行い、神に喜ばれる道を歩まれたのがイエスです。 

 私たちが、生きる意味を知ろうとするならば、第1番目に、私たちを創造した神、私たちを愛し、ひとり子を与えて下さった唯一の神を信じる事から始まります。良い行いによってではなく、御子イエスを信じる者を、あたい無しで赦すことができる神を信じることです。その時、神が私たちの罪を赦し、義と認めてくださいます。神に愛される、子どもとなります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

 2024年4月28日(日) 第 4主日 『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ 5章 1節) この世の流れ  風がやんで海が穏やかになることを「なぎ」と言います。和とは社会では対立や疎外がなく...