2018年11月25日(日) 第4主日
しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。 ヨハネ12章13節~16節
今の栄光のちの栄光
主イエスの行動には一つ一つに意味があります。それを見ていた者は後で気づきました。イエスの御業、お言葉、計画、後にわかったすべてをヨハネが書こうとしても書ききれないほどであると告白しています。
主の行動が後でわかったのは、ラザロの甦りです。主が愛されたラザロが危篤なので来て癒してほしいとの使いの言葉に、イエスは2日の間そこに留まり続けられました。イエスにとっては、行くか行かないか、あるいはいつ行くか、万事に御心があり、意味がありました。一時の猶予も許されない中でも、2日滞在し続けられました。イエスの計画は病を癒す事にはなく、甦らすことにありました。結果は、イエスは死後4日目に墓の前に立ち、ラザロをよみがえらせられました。主の計画はゆっくりではあっても確実です。
ラザロの甦りの意味することをヨハネたちは後になって知ります。「わたしはよみがえりです。いのちです。」(11:25)と事前に言われたように、ほかでもない、主イエス自らが甦られたのです。しかし、誰もが、イエスの墓の前で復活の朝を待っていた者はいません。万事、栄光をお受けになってみて、あの時の主のお言葉を思い起こして行くのです。
私たちが知っている事、聞いている事、理解している事、きっと栄光の主が来臨される時には、イエスの弟子たちのように、これらのことがイエスについて書かれていたことだと悟り、驚くことでしょう。
シバの女王(現イエメン)がソロモンの名声を聞き、ためそうとしてやってきました。「実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。…聞いたうわさよりはるかにまさっています。」(Ⅰ列王記10:7) ヨハネは、イエスについてこう言います。「イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」(ヨハネ21:25)
神の備え得ておられることは、人の想像をはるかに越えます。
2018年12月1日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2024年4月28日(日) 第 4主日 『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ 5章 1節) この世の流れ 風がやんで海が穏やかになることを「なぎ」と言います。和とは社会では対立や疎外がなく...
-
2023年8月20日(日) 第3主日 『イエスは答えて言われた。「わたしはあなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」』ルカ 19章40節 王の入場 王位を授かって遠い国から戻って来た主人が、出かける前に10人のしもべたちに与えておいた10ミナで、如何に商...
-
2023年4月23日(日) 第 4主日 『一人の罪びとが悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。』(ルカ 15章 10節) 失われた一匹の羊を捜して連れもどした羊飼いの話と、なくした1枚のドラクマ銀貨を捜して見出した女の人の話をイエスはなさいました。その目的...
-
2023年9月17日(日) (第 3主日) 権威論争 ルカ福音20章には三つの論争が記されています。権威論争、納税義務論争、復活論争です。挑んできたのは祭司長、律法学者、長老たちです。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれです...
0 件のコメント:
コメントを投稿