2022年3月6日(日) 第1主日
『ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます。」と言った。イエスは起き上がり風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」』(ルカ 8章 22節~25節)
どこにあるのですか
もし私ならばどうしただろうか。弟子たちは、突風により大波をかぶって舟もろとも沈みそうです。命の危険が迫る中で、きっとこの口が叫び出すことでしょう。「主よ、お助けください。」
幸いなことに、天地万物創造の主を知る者となりました。「主の御名を呼び求める者は救われる。」(ローマ 10:13)と約束されています。その主とは、私たちのイエス・キリストのことです。
弟子たちは命の危険迫る中でどうしたのでしょうか。自分たちの窮状を、必死で訴えました。「私たちは死んでしまいます。」この叫びは主イエスを目覚めさせました。主イエスの一言で風も水もおさまりましたが、イエスは弟子に向かっては、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか。」
パンを用意するのを忘れたのは不注意に過ぎません。ところが、信仰を置き忘れて舟に乗るのは一大事です。荒れ狂うガリラヤ湖上で信仰がどう働くか。大切な時にこそ、信仰は力となります。
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