2020年3月2日月曜日

2020年2月23日(日) 第4主日

「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ24章12節~14節)             

 救いに至るのに忍耐が必要だと記されています。忍耐は救いの条件ではありませんが、救いを受け取るために必要です。同じように、良い行いは救いのための条件ではありませんが、救われた者は良い行いに歩むように志が与えられました。また、天国に入るためには、死の体験が必要です。だからと言って救われる条件に死ぬことは含みません。

 罪びとが救われて義と認められるためには、主イエス・キリストへの信仰のみによります。神の御子をイエスと告白します。主イエスは、私たちの罪の贖いのために十字架においてご自身を捧げてくださいました。父である神は、御子をよみがえらせて、天にある父の右の座に着かせられました。それゆえに、私たちはイエスを主と告白して礼拝をおささげし、お仕えしています。その信仰こそが救いに必要なことです。

 神の約束ごとを信じて待つことは信仰の要素です。信仰の父アブラハムは契約を信じて待ち続けました。「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手にいれるために必要なのは忍耐です。」信仰を抱いて待ち続ける力が忍耐力です。望みの忍耐ともいわれています。「主イエス・キリストへの望みの忍耐」(1テサロニケ1:3)

主イエスの再臨は信者の希望です。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅くなることはない。」(へブル10:36、37) だからこそ、忍耐して待つようにと促されています。実際、主イエスの再臨が近づくにつれ、信者にとって忍耐すべきことが増すと聖書に記されています。

不法がはびこります。人々の愛は冷ややかになります。にせの預言者が多く出て惑わします。迫害も増してきて、主の名を信じるがゆえに憎まれます。その中での希望、それが主の再臨です。

信仰者に賜った救いには、終わりまで耐え忍ぶことができる力も備わっていると信じます。もともと忍耐は、神のうちにある特質で神から出たものです。神が忍耐してくださっているがゆえに私たちは救われました。同時に神の忍耐ゆえに、再臨がおそくなっています。 

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