2019年6月1日土曜日

2019年5月12日(日) 第2主日

「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ53:3)

 ギリシャ語で頭骸骨を表すクラニオン「どくろの地」、ヘブル語ではエルサレムの近くにある丘の名前で「ゴルゴタ」と呼んだ処刑場がありました。そこでイエスは二人の犯罪人と共に十字架につけられました。預言者イザヤが告げた苦難のしもべ、そのままにイエスは、人々からさげすまれました。 

1.道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りてこい。」(マタイ27:39) 

2.祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」(:41~43)

3.イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。(:44)十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。(ルカ23:39)

4.ローマの兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」と言った。(ルカ23:36、37)彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、そこにすわってイエスの見張りをした。(マタイ27:35、36)

5.主イエスは、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(1ペテロ2:23) それどころか、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と祈られました。
主イエスは、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。(1ペテロ2:24)


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