『イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」』ヨハネ14章22節
世に勝った
「世」とは、社会としての生活の場であり、流もあれば時もあります。たとえば、「千代に至る祝福」は、主の戒めを守る者に及ぶ幸いですが、個人の領域を越えて、社会全体に、あるいは幾世代にも及びます。
ノアとその家族を例にとるならば、当時の世は、神の道を乱し、暴虐が満ちていました。しかし、ノアは、生活の場が、たといそうであったとしても、主の道を歩み通しました。大洪水によって当時の世界とその世とは滅びました。唯一、義人ノアとその家族は救い出されました。その祝福は、代々に及び、今に至ります。ノアの子セムへ、セムの子孫テラへ、テラの子アブラハムへ。アブラハムはダビデへ。そして、ダビデの子孫としてこられた、私たちの主イエス・キリストへと到達します。千代をはるかに越える「永遠の命」の祝福として、イエスを信じる者すべてに及びます。
主イエスがこられた「世」は、ユダヤの王はヘロデ大王で、主の降誕を知って幼児を殺害しました。イエスが公生涯を開始される時の預言者ヨハネを斬首したのが、息子のアンティパス。イエスが捕らわれた時に会っています。ヘロデ大王の孫アグリッパ一世は、パリサイ派と協力して使徒ヤコブを処刑しました。主の使いはこのヘロデを打ち、虫にかまれて息絶えました。(使徒12:23)アグリッパ2世(ヘロデ大王曾孫)は、捕えられた使徒パウロから直々に証しを聞き、心動かされます。10年ほどしてエルサレムは、ローマ軍の侵攻を受けて陥落しますが、ローマの側についた人物です。
主イエスの降誕、公生涯の開始、使徒達の宣教開始、使徒パウロの宣教という、神の救いの御業が現れた時代。世は、これを悟らず、むしろ世はこれを憎みました。神の国に敵対し続けたのが世でした。
「この世を支配する者が来るからです。」(ヨハネ14:30)
とイエスが言われたのはサタンのことです。
「全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。(1ヨハネ5:19)
これが当時を生きたヨハネの証言です。
では、神の支配はいかに。イエスは言われます。
「わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
そのお方から「助け主」が遣わされました。そのお方を受け入れる者が神の子どもたちです。この世は、なおも神の忍耐と慈愛が注がれ続けています。しかし、暴虐が地に満ち、神の道を乱しています。信じる者たちは、イエスへの愛とその現れを待ち望んでいます。
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