2018年9月8日土曜日

201885日(日) 第1主日

イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネ812節 
               いのちの光
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119105) 夜道に足元を照らすランプが聖書世界の道具でした。手のひらにのる程の小さいランプは、弱い光に過ぎません。車のヘッドライトは猛スピードで暗闇でも走れるように遠くを強く照らします。でも、一歩一歩ゆっくりと歩むには、ランプで十分で、遠い彼方よりも、より近い、足下を照らしてくれます。
 
旧約聖書の律法の役割は、正しい歩みを指し示す、足元を照らす光です。それを見ながら、確認し、一歩一歩歩んでいくことができました。これが旧約時代の信者に神が与えた光です。暗闇と邪な世界から信者を守る灯りは、手程のランプに表現されるように、弱い光ではあるが、確かな啓示の光です。それが詩篇のお言葉で歌われています。では、今はどうでしょうか。

「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」(マタイ4:16) ランプの光で会ったのが、突然「偉大な光」の時代到来です。主イエスが、ガリラヤにおいて宣教を開始された時、啓示の光が闇に住む人々を上より照らしました。

「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12) 偉大な光、世界の光、それは主イエスご自身です。主イエスは、生ける神の御言葉そのものです。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)はっきりとした道が見えます。イエスの父である神に近づく唯一の道です。この道は、はっきりとしめされています。目をあげると天国が見えます。天の父がおられ、御子イエスが栄光の御座におられる場所です。
イエス・キリストを通して、誰もが、そこに至る事ができます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

 2025年3月16日(日) 第3主日 『祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。』(テトスへの手紙 2章13節) 希望の福音 「永遠のいのちの望み」とは究極的には、新天新地を相続する約束のこ...