2024年10月31日木曜日

 2024年10月13日(日)第 2主日

神の国に入るためには

 欲しい物はネット上で探すと大抵は見つかる時代です。肝心の食料だけは手間暇かけて季節を待ってしか生じません。それどころかすぐに食糧難に見舞われます。アダムの堕落以来、食料についての定めは不変です。
「大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。」(創世記 3:17)
大切なものは神様が与えてくださいます。

 「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」
2000年前に主イエス様は、神の国とその義を探し求め、神の国の扉をたたく者には、開かれるという約束をされました。この約束は世界中のあらゆる人々に対して告げられたもので今も有効です。

 国には領土、国民、主権が存在し、法律に基づく治世があります。国境があり、侵略すれば争いになります。同じ国民でも部族民族ごとに言語があり、文化があり、争いごとがあります。主権が独裁主義者の手中にある国民は蹂躙されています。世界中のどの国も入国制限を設けていて、滞在期間も限定していて守勢が徹底されていて相互緊張感が発生します。しかし、神の国は神の義にもとづく支配によって平和がもたらされます。キリストを通しての和解によってもたらされた神との平和と兄弟姉妹との主にある平和です。

 ニコデモと主イエス様との対話の主題は神の国に入ることです。
「まことにまことにあなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」
アブラハムの血筋によることがイスラエルの国民であり、引いては神の国に入れると考えたニコデモです。主イエス様は神の国の国民になるには御霊による新生が必要であるとニコデモに告げられました。肉と霊、地上と天国、人間の支配と神の支配、やがては消失する国家と永遠の御国とでは本質的に異なります。そこに入るには、血筋によらず、御霊による新生によって国民となります。これが神の国です。

 「私たちの国籍は天にある」使徒パウロが言った言葉です。ローマ市民権もベニヤミンの血筋もパリサイ派ガマリエル門下である名声も神の国の国籍の前には無きに等しいものです。ヨハネ黙示録7章には、神の国の光景が記されています。
 「その後、私は見た。すると身よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数え切れないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。」(黙示録7:9)
「だれでも」叩く者には開かれる御国の約束の通りに、数えることもできない世界中の人々がそこに入っています。私たちもその中に加えられて天の御国の民となることができます。

 関係性が近くなると争いが生じます。互いに敵意を内在化しながら関わっているのが現実です。私たちの祈りは、次の通りです。
「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:10)

2024年10月7日月曜日

 2024年9月22日(日) 第4主日

王である主イエス様

 箴言はイスラエルの王ソロモンとマサの王レムエルとが記した全31章に及ぶ訓戒です。おおよぞ3000年前のものです。「知恵」が100回以上あり「知恵の書」に入ります。30回以上出て来るのが王に関係する箴言です。
 多神教的な神話や祭儀と一体となり国の元首が神格化された歴史があります。日本では戦時中には昭和天皇が神格化されました。昭和21年にいわゆる人間宣言によって訂正されました。「私とあなたたちと国民との間の絆は、…単なる神話と伝説とによって生まれたものではない。天皇を神とし、または日本国民は他より優れた民族だとし、それで世界の支配者となる運命があるかのような架空の概念に基づくものでもない。」(現代語訳)一方、明治神宮の祭神は明治天皇夫妻であるので生きている時はそうでも、死ねば昇華されるのでしょうか。人は永遠に人だと聖書は教えています。

 聖書中のイスラエルの王は神格化されてはいません。元はと言えば周辺諸国の王をうらやみ、祭司職を軽んじサムエルを退けた結果、与えられたのが王たちです。最初の王はサウル王です。予見者であり祭司であるサムエルによって油注がれて王になりました。メシヤの語源である任職の油注ぎです。

 イスラエル王国の祖はダビデ王です。その子ソロモン治世において神殿が完成し諸国の中でも名をあげて、繁栄と富と平和が与えられました。絶頂期を迎えますが、すでに異教化を内包していました。その子の治世において国は分裂しました。生前にソロモンが記した王への箴言には
「正義によって王は国を建てる。重税を取る者は国を壊す。」(箴言 29:4)
ソロモンの息子レハブアムは王になると直ぐに民に重税を課してしまいます。(1列王記 12:11)その結果は
「富は永久に続くものではなく、王冠も代々に続かないからだ。」(箴言 27:24)
箴言はあっても知恵が欠けていました。

 ダビデ王は星のごとく輝く王です。それでも二つの大きな過ちがあったことが記されています。絶対君主にはならないようにイスラエルの王には王と預言者と祭司の三つの職分があり、相互に独立していました。預言者は王を進言し、時には悔い改めを迫りました。祭司たちは国民の間に住み、神と人との間に立って執り成しの務めをしました。王の職分は神の正義をもとに国を治めることです。
「悪を行うことは王たちの忌み嫌うこと。王座は正義によって堅く立つからだ。」(箴言   16:12
結果は、国が滅亡しました。

 イスラエルの王たちは亡国へと国を導きました。その中での唯一の希望は、来るべきメシヤ(救い主)への待望です。その方こそが「王の王、主の主」です。同時に、民の悩みを知りつくし、自らが人々の罪を背負って死に、執り成しをなさる大祭司です。そして、預言者は神の言葉を預かる人ですが、主イエス 様は神の言葉が人となったお方です。その名は、私たちの主イエス・キリストです。このお方の治める国は、神の国であり、私たちキリスト者はその国民です。


 2025年3月16日(日) 第3主日 『祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。』(テトスへの手紙 2章13節) 希望の福音 「永遠のいのちの望み」とは究極的には、新天新地を相続する約束のこ...