2024年2月7日水曜日

 2024年1月14日(日) 第2主日

『彼らはイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕らえ、この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた。』(ルカ 23章 26、27節)

シモンが背負ったイエスの十字架

 ゴルゴダは十字架刑の刑場です。そこへの途上に起きた出来事の一つが、主イエスの十字架を無理やり背負わされたクレネ人シモンのことです。過ぎ越しの祭りでエルサレムに来ていたシモンのヘブル読みはシメオンですからユダヤジンと思われます。なぜ、シモンが選ばれたのか。田舎から出て来た者、都会人とは違う屈強そうな体格が目に留まったのかもしれません。しかし、神の御心が先にあって、その役割を担いました。

 犯罪人は、見せしめのために十字架を背に担わせて市中を歩かせられました。神の御子イエスが、聖なる都エルサレムで同じ目にあったことで、片隅での出来事ではなくなりました。
「主は私たちのすべてのものの咎を彼に担わせた。」(イザヤ 53:6)
イザヤの預言が、ここに成就して行きました。

 本来、私たちが背負うべきはずの刑それが十字架であり、律法学者、神に呪われた者であることを示しています。イエスの十字架をシモンが背負い拒むことができなかったのは、それは誰もが背負わねばならない、いや、すでに背負って歩んでいる、その姿を示していると思います。また、シメオンはイエスの御足後を踏み、キリストの弟子の歩みの模範を示しました。

 ついにゴルゴダに着きます。シモンの肩にかかった十字架の重には取り去られて、イエスに完全に渡されました。イエスが私たちの罪の重荷のすべてを受け取ってくださったので、私たちは、罪の重荷を取り去られました。今は、新たな使命という重荷を背負って歩んでいます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

 2025年3月16日(日) 第3主日 『祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。』(テトスへの手紙 2章13節) 希望の福音 「永遠のいのちの望み」とは究極的には、新天新地を相続する約束のこ...