2021年3月8日月曜日

 2021年2月14日(日) 第2主日

『「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪者たちを、一人は右に、もうひとりは左に十字架につけた。その時、イエスはこう言われた。「父よ、…彼らは、自分が何をしているのかが分っていないのです。」』(ルカ23:34)

神からの赦し

 「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。」(使徒26:14)
 御父のもとに帰られたイエスが、ダマスコ途上でサウロに直接ヘブル語で語りかけられた言葉です。当時キリスト者を捕えて罰することが、神への奉仕であり、義の行為と思いこんで迫害を加えていました。サウロ(パウロ)は自分がしていることの間違いを悟る時が突如訪れました。

 第1に「なぜ私を迫害するのか」との問いかけ。
パウロは、太陽よりも明るく輝く光に突然照らされました。自分のしていることに神のスポットライトが投ぜられたのです。神の前に立たされる体験です。主イエスは問われます。「なぜ」そのようなことをしているのかと。人は、自分のしていることについて純粋だと思い込む傾向があります。神は、私たちが答える先にご存じです。
 「彼らは、自分が何をしているのかが分っていないのです。」
十字架にかけ、あざける人たちのために、イエスは御父にとりなし、赦しを願ってくださいました。パウロこそ自分がしていることがわからない者の典型です。そして、神のあわれみによって赦されるべき罪人の一人でした。赦すためにイエスは現れ、パウロは回心しました。私たちのためにもイエスは赦しを祈ってくださいました。根本問題は、「なぜわたしを迫害するのか」と問われるイエスを神の御子であると信じていないことにあります。

 第2に、とげの付いた棒を蹴る。
 農作業をする家畜に、主人はとげの付いた棒を使い鼓舞するが、繰り返して痛い目にあう家畜がいます。パウロはキリスト者に縄をかけ牢にいれるような冷徹な主人のようです。ところが、主人に反抗する家畜はパウロ自身でした。神に従順で忠実であると思い違いをしていました。むしろ神とイエスとに逆らう者でした。

 第3に、報告復活したイエスとの体験
ダマスコ途上でのパウロの体験は、パウロを回心させました。神への悔い改めとイエスへの信仰への覚醒です。パウロにとってイエスは神に呪われて十字架上で死んだ罪人でした。しかし、神はイエスを死者の中からよみがえらせて公に神の御子として示されました。キリスト者たちの証言こそが正しく自分が間違っていたことを、イエスによって説き伏せられたのです。
「…最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。」(Ⅰコリント15:8)

0 件のコメント:

コメントを投稿

 2024年4月28日(日) 第 4主日 『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ 5章 1節) この世の流れ  風がやんで海が穏やかになることを「なぎ」と言います。和とは社会では対立や疎外がなく...