2020年2月3日月曜日

2020年1月12日(日) 第2主日

『主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束をことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』(ペテロ手紙第Ⅱ 3章9節)

いつ主は来られるのか 

 世界の終わりと主イエスの再臨に関して、マタイ伝24章25章に記されています。きっかけは、エルサレムにあった神殿崩壊への先見から始まりました。そこから弟子たちに世の終わりにのぞみ、多くの忠告と心備えを語られました。そのひとつが、10人のブライダルメードの娘の例えです。

 主イエスの再臨が結婚式に例えられているのは、その日はキリストを信じた者たちすべてにとって、晴れの日であり、待ちに待った瞬間であるからです。覆われていたベールがとられ、ついに花婿キリストと結ばれる時が来て宴が開始されます。
「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。」(エペソ5:32)
「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」(黙示19:9)
 
 主イエスのたとえには、婚礼の宴に入れずに、戸の外で開けてくださいと嘆願する人がいます。(マタイ25:10、11)愚かな5人の娘(ブライダルメード)たちです。花婿が夜遅くに家に迎えに来た時、ともしび(トーチのようなもの)の油を切らしてしまいました。花婿の到着が遅延した時に、油を用意をしておいた5人の娘は、花嫁と共に祝宴の席に入って行きました。賢い娘と愚かな娘とイエスは呼んでおられます。
 
 神の言葉を聞いてそれを実践する人が賢い人だと定義されています。愚かな人はその逆となります。(マタイ7:24~27)この例えでの神の言葉とは、「いつ来られるか、知らないからです。」(マタイ24:42)「思いがけない時に来るからです」(マタイ24:44)その言葉の通りに実行した人は、油を用意しておきました。愚かな人は自分の判断で時を定めた結果、油への備えを怠りました。10人娘たちは共に時を過ごしていたとしても、すべての人が天国の宴に入れないとは厳しい話です。それどころか半分に分かたれます。主の再臨は幸いな日でもあるが、嘆きの日でもあります。真に神の言葉を信じて行っていたかが試されます。

 愚かな娘たちとはだれなのでしょうか。「確かなところ、私はあなたがたを知りません。」(マタイ25:12)遅れて後から来た人は、花嫁との同行者ではないので、知らないと拒まれました。キリスト・イエスを信じる信仰だけが、主イエスの再臨の時に救いが保持される保証です。油なしでは火が消えます。イエスを信じたものだけが、宴に入れるのです。10人いても半分は祝宴に入れなかったとは、用心しておくべき主イエスの説教です。

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