2019年12月31日火曜日

2019年12月1日(日) 第1主日

『イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方であり。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。』ヨハネの黙示録1章5、6節

              解放

 旧約聖書にはイスラエルの歴史が記されているが、エジプトの奴隷から救い出された出来事が大きな意味をもっている。以後、解放の時が、第1の月となった。エジプト出発の夜は、代々に受け継がれ、過越の祭りとして記念されている。全能の神の、偉大な力が示された出来事であり、賛美の歌となっている。(出エ15章、詩篇78、114、135、136)
 神の契約の確かさと、輝かしい救いの光が照り輝いた時である。その日は、エジプトの奴隷からの解放の日であり、同時に、エジプトの国への裁きの日であり、エジプト軍への神の圧倒的な勝利の日でもある。
 
 神のお言葉を見よう。「わたしは主である。わたしはあなたをエジプトの苦役の下から連れだし、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神と、主であり、あなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出す者であることを知るようになる。」(出エジプト6章6、7節)
 
 自由の身となったことには目的があった。「わたしの民、あなたがたの神」となるためであった。祭司の王国と呼ばれる国の実現のためである。
 新約聖書に目を転じれば、罪の奴隷から解放された民がいる。救い出された目的は、祭司の王国の実現のためである。救い出したお方は、私たちの主イエス・キリストであり、このお方が贖いの代価となった過越の小羊である。私たちは神のものとされた。賛美しよう。

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