2019年3月30日土曜日

2019年3月10日(日) 第2主日

『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。』ヨハネ15章13~15節
           
その友のために

主イエスの弟子たちとイエスとの関係は、実にユニークです。

 第1に、主イエスに礼拝をささげています。
弟子のトマスはイエスに対してこう言いました。「私の主。私の神。」(ヨハネ20:28) 主イエスは礼拝を拒むどころか、かえって、こうさとされています。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」弟子たちは明らかにイエスを神であると告白しています。

 第2に、主イエスの方が弟子の足を洗います。
近づきがたい栄光の主であるはずなのに、イエス自ら進んで弟子の足を洗っておられます。これは、愛の証です。神の在り方を捨てて、しもべとなりイエスは、神と人とに仕えられました。

 第3に、主イエスは弟子たちにはご自身を隠されませんでした。
山に上り、そこで栄光の輝く姿へと変貌されました。選ばれた弟子には、実の御姿を見せて、隠されませんでした。御独り子としての栄光です。
ゲッセマネの園では、十字架の死を前に、イエスが苦悶の祈りをささげる姿を、弟子たちに見せられました。父である神の前におけるイエスの弱さです。強さも弱さも、共にイエスは弟子に隠さずに示したのです。

 第4に、イエスは弟子を友と呼ばれました。
しもべと友とでは分かち合える度合いが違います。友には信頼して、心をわって語ることができます。「人がその友のために命を捨てること」これが人のもつ最高の愛の行為です。主イエスの十字架での身代わりの死は、神が世を愛して御独り子を与えたほどの愛です。主イエスにとっては、友のために死なれた最高の愛なのです。

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