2019年1月27日(日)第4主日
「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」」 ヨハネ14章6節
道・真理・いのち
主イエスはその弟子に、神を信じると同様にご自分を信ぜよと言われます。また、ご自分を指して、「道、真理、いのち」であるとも言われました。
そのように言い切ることのできるお方は、イエス以外には知りません。
聖書中、道を指示した大いなる預言者はバプテスマのヨハネです。「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。」と叫びましたが、自分に関しては、「私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。」(ルカ3:16)と言っています。皆が悔い改めて自分を正す事が、イエスを迎える道備えであり、ヨハネはイエスを指示した人であって、自分自身が道であるなどとは言いません。
それに対してイエスは、ご自分が道であると言われます。その道とは、イエスの御父である神に至る道です。その事は「真理」であると断定されています。その証拠は、「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。」「わたしを見た者は、父を見たのです。」イエスと御父との完全なる一体性にあります。(ヨハネ14:9、10)
「いのち」の道と滅びの道とがあります。御父の家へと向かうか、それとも永遠の滅びへと向かうかは最重要です。言うまでもなく、イエスは御父の家の住まいへと導くお方であり、そのために場所を備えに行くと言われます。
滅びに至る道の先導者がいます。私こそがキリストであると言う反キリストの霊です。サタンのために備えられたゲヘナへと誘おうとする道です。もう一つには、どの道でも救いに至ると教える者です。人が道を尋ねているのに、どれでも結局は、同じだと言う人は、迷いに導く人です。これらは、滅びに至る道です。救いの道は、一つで「わたしを通しでなければ、」。
主イエスはいのちへと導くお方です。御国の門で「わたしはあなたがたを全然知らない。」(マタイ7:23)と言われてしまえば、外の暗闇へと追放されます。逆に主イエスに知られている者はパラダイスに入ります。
十字架にイエスと共につけられた犯罪人の一人は、イエスこそが道であると信じて、死の間際に、いのちに至った人です。犯罪人は一つの願いをしました。「イエスさま。あなたの御国の位におつきになるときには、私を思い出してください。」イエスは言われました。「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:42)
イエスこそが救いの道です。