2024年5月2日木曜日

 2024年4月28日(日) 第 4主日

『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ 5章 1節)

この世の流れ

 風がやんで海が穏やかになることを「なぎ」と言います。和とは社会では対立や疎外がなく、集団がまとまった状態を指しています。もめごとが起きるのを、波風が立つとも言い、調和を乱す者への抑止力が働きます。そこには「空気」と呼ばれている、大きな影響力をもつ判断基準が存在しています。使徒パウロの言う「この世の流れに従う」(エペソ 2:2)とも重なる部分です。

 キリスト者は、空気とは違う、地の塩であり、世の光であると言われています。世の流れに一石を投ずるとまではいかなくても、独自の判断基準を持って歩む民なのです。そこには個人の確立が不可欠です。信仰はそのせめぎ合いです。神と共に歩んだ人の生涯の特徴は、神がその人を名前で呼んでくださるということです。私たちもまた、特別な存在なのです。

 キリスト者は、神は世を愛しておられることを信じています。同じく、世を愛する神は、私をも愛してくださっています。万物の創造主は、私の神、私の主です。イエス・キリストの死もまた、私の罪のためでもあったことを公に告白しています。トマスが復活の主イエスに向かい「私の主、私の神よ。」と告白していますが、私たちもそのように告白します。

 「あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」
イエスがペテロに問われた言葉です。内心を言葉で表明するようにと導かれた質問です。「わたしを愛していますか。」
この問いかけは、ペテロ個人に問われてはいますが、かたわらにいたヨハネは自分への言葉かけとして自ら行動を起こしました。同じ使徒とは言え、信仰の歩みは互いに異なりペテロには殉教を、ヨハネには長命を、イエスは予告されています。(ヨハネ 21:19、22)イエスの愛においては後の者が先になり、先の者が後になります。若いヨハネがペテロに先んじている一面が垣間見られます。本来、愛は自由性から発するもので、空気を読む世界の真反対の行為です。

 やがて最後の審判(白き御座のさばき)が行われます。「自分の行いに応じてさばかれた。」
誰がこのさばきに耐えることができるでしょうか。キリスト者には弁護者であり、なだめの供え物としてご自分の命をささげてくださったカタイエスがおられます。聖霊は御父と御子イエスとの交わりを聖徒たちの間で育まれます。
「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」(使徒 1:14)

 2024年4月28日(日) 第 4主日 『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。』(ローマ 5章 1節) この世の流れ  風がやんで海が穏やかになることを「なぎ」と言います。和とは社会では対立や疎外がなく...