2024年1月13日土曜日

 2023年12月3日(日) 第 1主日

『あなたがたに言いますが、「彼は不法な者たちとともに数えられた」と書かれていること、それがわたしに必ず実現します。わたしに関わることは実現するのです。』(ルカ 22章37節)

数えられたイエス

 イエス・キリストが降誕した時にローマ皇帝アウグストは帝国下の人々に住民登録を義務付けました。今風に言えば、占領地に住む人々にも I D 登録と納税義務を紐づけされたわけです。この出来事によって、イエスもまた人として数えられました。同時にダビデの子孫としての証明がされました。

 唯一の神が人として数えられています。神は数えられるべきご存在ではなく、まして人の中に混ざり合うことなどありえません。それでもなお、人となられた目的は、神との和解を実現する仲介者となるためです。
「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(第 1 テモテ 2:5)
 十字架上での主イエスの祈りは、最期まで罪びとのために執り成しをする姿そのものです。
「父よ。かれらを、お赦しください。彼らは、何をしているか分かっていないのです。」(ルカ 23:34)
 その時、イエスはまぎれもなく犯罪人の一人に数えられ、神に呪われた者たちと共に十字架に処せられました。イザヤ書 53 章 2 節の通りです。

 使徒パウロはローマの市民権を有していました。持たない者には金を払ってまでも欲する価値のあるものでした。
 『けれども私たちの国籍は天にあります。』(ピリピ 3章18 節)
 天国籍は、比べることもできない価値ある国籍です。第1に、神よりの恵みによって与えられるものだからです。第 2 に、永遠に続く神の御国だからです。バビロンは滅びました。大バビロンも必ずや神が裁き滅びます。第 3 に、神の国民には永遠の命の約束が伴い与えられます。国民の命を守ることが国家の務めだとすれば、神の国の国民には永遠の命と幸いとが与えられます。第 4 に、イエス・キリストこそが王であり主として治められる国です。平和の君、万民のために罪の代価としてご自分の命をささげられた愛なるお方です。天国の民の一人として数えられる者は幸いです。


2023年12月4日月曜日

 2023年11月12日(日) 第2主日

『そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。』(ルカ 21章27節)

異邦人の時

 エルサレムでの主イエスの説教は、ご自分の身に十字架での死が迫る中で、話は人々の上に必ず臨む滅亡のことに向けられています。
 エルサレム滅亡の語りは、非常に具体的なものでした。訪れの知らせは、エルサレムが軍隊に包囲されることです。その時には「逃げなさい」。主イエスの説教を無視して、なおも都の中に留まる者、あえて都に戻る者には、神の御怒りによる大きな患難にあいます。剣の刃に倒れ、捕虜として連れて行かれます。キリスト者は、災いから逃れて別の町で生き延びました。

 「異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」神の御怒りは一定の期間であり、「異邦人の時が満ちるまで。」と定められています。時が満ちれば回復がやってきます。歴史の語る通り、ローマ軍が城壁を破壊して踏み込み、神殿の聖所内にあった金の燭台をはじめ、奉献品を戦利品としました。神殿のあった場所にはイスラム教のモスクが今も建っています。オスマン帝国など、諸外国の統治下におかれてきました。イスラエル建国が現実となった今でも、神殿はなく、西壁が民族にとっての礼拝場所です。

「異邦人」の意味は神が祝福の契約を結んだアブラハムの子孫、ヤコブの子孫の側から見て、それ以外の諸国民を指します。「異邦人の時」とイエスが言われた意味あいは、エルサレムは元より、この世界の支配や統治が異邦人の手の中に置かれる期間を言い、御国を来たらせたまえと祈らざるをえない期間です。神の義や聖や憐れみを知らない者が君主となり治めるのですから。

 イエスが十字架刑に処せられる前にユダヤ最高議会を開き、有罪判決をくだし、イエスを異邦人の手に引き渡しました。やむなくローマ総督ピラトは死罪を言い渡しました。イエスを異邦人の手に引き渡してしまったことで、自分たちが異邦人に引き渡される苦い運命を招くことになりました。異邦人の支配は不幸で戦争を繰り返します。(使徒2:36、3:13~15

 使徒パウロは「異邦人の時」を説き明かしています。
「この奥義を知らずにいてほしくありません。イスラエルの一部が頑なになったのは異邦人の時が来るまでであり、こうして、イスラエルはみな救われるのです。」(ローマ 11:25)
今は、異邦人の季節です。刈り入れは世界中です。キリストが来て異邦人の支配を終わらせます。「エルサレムに優しく語りかけよ。…その苦役は終わり、その咎は贖われている、と」(イザヤ40:2)

2023年10月30日月曜日

 2023年10月29日(日)

『いつも油断せずに祈っていなさい。』( ルカ21章36節 )

油断大敵

 ルカ21章のイエスの説教は、間近に迫るエルサレムの苦難と世界中に臨む天変異変による災難、ついに主イエスが来られて今の時代の終わりが来ることが語られています。総じて警告的です。
「その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことがないように、良く気をつけていなさい。」(34)
「あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(36)
「イエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山ですごされた。」(37)そこにはゲッセマネの園があり、イエスは御父である神にひざまずいて祈りをなさいました。苦しみ悶えながら、いよいよ切に祈られました。(22:44)十字架への道を決断し立ち上がられました。

 共にいた弟子たちにも、祈るべきことがありました。
「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(22:40)注意すべきは誘惑です。惑わしと誘惑は、サタンの常套手段です。神に従うよりも罪を犯すことの方が見るにうるわしく、食べるのに良さそうに思えるのです。主イエスの弟子として召されたものは、その召しに従うことが最も幸いです。従うことが損に見えてしまうことの中に、誘惑が仕組まれています。誘惑に陥らないために祈りが必要です。

 油断しない人は、万事先だって祈ることを習慣にしている人だと思います。十字架の死を前にしてイエスはいつものように祈られました。弟子にも大誘惑を控えて祈るように指示されました。すべての出来事が突然のように思われても神にはそうではありません。先だってすべてをご存知です。

かつ、神は事前に必要を備えておいてくださいます。何事もいつもの通りだと思う所に油断が生じます。
「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」
ことが起きる先に祈ることで平安が与えられます。



2023年9月28日木曜日

 2023年9月17日(日) (第 3主日)

権威論争

 ルカ福音20章には三つの論争が記されています。権威論争、納税義務論争、復活論争です。挑んできたのは祭司長、律法学者、長老たちです。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」
イエスはこの者たちに逆に質問されました。バプテスマのヨハネに関わることで、その権威の出どころを尋ねた質問です。預言者ヨハネは、イエスがキリストであることを指示した偉大な神の器です。そのヨハネが、イエスを高く挙げてこう言います。
「私などは、その方のくつのひもを解く値打ちもありません。」(マタイ 3:16)ヨハネの権威を否定すれば、自分たちに石が飛んでくることが分かっています。さりとてイエスの権威を認めたくはないのです。(マタイ3:16)そこで「知りません」と返答しました。自分たちの許可も得ず宮の商売人を追い出すイエス。宮で毎日自由に教えるイエス。イエスの教えに熱心に傾聴する人々。これ以上は我慢できず、イエスを総督に引き渡そうと計ります。

 イエスは明確な答えを語られました。悪い農夫のたとえ話で、ぶどう園の作り主が長旅にでるので農夫に貸しました。収穫期になり、分け前を受け取ろうとして三度も、しもべたちを送りますが、傷を負わせ辱めて追い返しました。そこで持ち主は最終手段を講じます。わが子ならば敬うだろうと、愛する息子を送ります。しかし、最悪をもって報います。「あれは跡取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。」

 イスラエルには、神が遣わした預言者たちを拒み殺した歴史があります。(マタイ23:37)イエスとは、神が最終手段として遣わした神のひとり子です。このたとえには、イエスがなぜ殺されるのか、誰が殺すのかが明らかにされています。既得権益を主張する者たちが、真の支配者であり所有者である神に敵対します。イエスを都の外のゴルゴタ(しゃれこうべ)で十字架の上に架けて殺しました。イエスのたとえは、敵がしようとしている悪行を前もって明かす内容でした。しかし悔い改めません。
『きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。』(ヘブル 3:7、8)

2023年9月8日金曜日

 2023年8月20日(日) 第3主日

『イエスは答えて言われた。「わたしはあなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」』ルカ 19章40節

王の入場 

 王位を授かって遠い国から戻って来た主人が、出かける前に10人のしもべたちに与えておいた10ミナで、如何に商売をしたのか報告を求め、それぞれに相応しい報いを与えるというイエスの例え話があります。報いとは別に、王に着くことを望まなかった国民に対しては厳しい審判をくだします。この例えには、将来、主イエスが王の王として諸国を鉄の杖を持って治める来臨の約束が語られています。もう一つには、例え話のすぐ後に続く、主イエスが王としてエルサレムに入場する出来事と繋がっています。

 弟子たちの一群は、イエスを王として認め、大喜びで神を賛美し、こう言いました。
「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
その賛美にふさわしく平和の君としてのイエスは、軍馬ではなく柔和なろばの子にのり、兵士を伴うことをせず主の弟子を伴い、王冠や剣を一切身につけず、喜びと賛美と平和のうちに現われました。まさに預言者が告げていた通りです。
 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも雌ろばの子の子ろば。」(ゼカリヤ 9:9)
約束のキリストが王としてエルサレム来られたことのしるしは、「子ろば」に乗るお方です。

 子ろばの調達は、ユニークで神の方法です。主イエスはすべてを知っていました。子ろばが隣村に繋がれていること。二人の弟子が行って、それをほどこうとすれば、持ち主から問われたら、「主がお入り用なのです」と返答すべきことばの指示も事前に与えています。それどころか、昔、ゼカリヤにあらかじめこのことを神が告げておられました。神は御心の実現のために、子ろばを備え、ご主人の心を変え、乗り物を用意されたのです。王としての権威が見事に証される一言が「主がお入り用なのです」それ以上の説明を要しません。いやそれこそが、最大の説明であり必要性なのです。必要としてくださること自体が光栄なことです。果たしてオリーブ山を登り下りする勾配のある坂道を、イエスを乗せた子ろばが、全行程完遂できたのか…。

 イエスは、エルサレムに着き、最後には十字架の道へと歩まれます。そこにはイエスのたとえ話に出て来る、主が王であることを望まなかった敵が待ち受けていました。イエスが十字架にかけられた時「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてありました。主イエスは、まぎれもなく王として死なれたことを証しています。やがて王の王イエスは来られます。

2023年8月1日火曜日

 2023年7月16日(日)第 3主日

神との和解

 聖書には、地球は6日間で人と生き物が住む最上の環境が完成したと記されています。そよ風一つ欠けても、平均気温が2度狂っても、人も、植物も、生存が危ぶまれます。太陽と地球の距離も数パーセントの狂いも許されません。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」との神の祝福の言葉に応えることができる地球は、「非常に良かった。」と神は語っておられます。

 人はあらゆる生き物を支配し、管理する任務が与えられました。人の最初の住まいはエデンの園です。そこから枯れない泉が湧き出てて川となり全地を潤します。元の世界の環境は、すべてが良かったのです。

 人もまた、最初は非常に良いものでした。というのも、神はご自身に似たものとして人を創造されたからです。神は最良の助け手として女を男から造り出し、一体の夫婦が誕生しました。アダムはエバを愛し、夫婦とその子たちとが暮らす共同体が誕生しました。

 最初の夫婦は蛇の誘惑にあい、善悪を知る木からとって食べてしまいました。これが初めての罪です。結果、死が全人類に及び、良いものだった地には、とげがあり植物の生長を妨げる、いばらとあざみを生じるようになりました。ついには、楽園を失い追放されました。人は都市を築き、バベル(乱れ)の塔のような天を突く町を作り暮らしています。地球の管理人である務めに人は失敗しています。今や絶滅危惧種のリストが増加中です。

 一つの罪が、アダム夫妻の子どもカインによる殺人の悲劇を生み出しました。やがて万物創造の神に変えて、自分たちの神々を作り出します。神は、人間の欲望のまま歩むにおまかせになりました。殺人、戦争、破壊、人命の売り買い、神の定めた道を変えてしまいます。どれもこれもしてはいけないことです。しかし、誰もそれを止めることができません。

 神の御怒りは、やがて、こうしたことのすべてに下されます。風はやみ、夜も昼も光が 3分の 1に減じるとき、神の怒りが啓示されるのを知ります。しかし、いまは恵みの時です。というのも、ご自分の御子イエスを人として世に送り、罪に対しての処罰を、イエスが代わって受けてくださいました。それが十字架の苦しみと死です。この福音を信じる者は、神との和解を得ることができます。その証拠は、イエスの死者の中からの甦りです。主イエスが神と人との唯一の仲介者です。神との和解による平和を得てください。
「私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。」(ローマ 5:11)

2023年6月23日金曜日

2023年6月11日(日) 第 2主日

『立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』(ルカ 17章9節)

放たれた小鳥

 主イエスによってツァラートを清められた一人のサマリア人に向かい、立つこと、行くことを命じられました。ひれ伏して感謝の礼拝を捧げている者に立てと命じ、主イエスが遣わす所へ行けと命じられました。

 「行け」には、主イエスからの平安が伴いました。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」その信仰で十分であるとイエス自らが保証してくださいました。こうして「義人は信仰によって生きる」(ロ-マ 3:10)その歩みの土台が定められ、その信仰生活が開始しました。

 「立ち上がって行きなさい。」は神の御子イエスの宣言です。主イエスが癒やし、主イエスがきよめ、主イエスが解放と自由を与えました。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためにではなく、律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ 5:17)

 律法によればツァラートとは、表面に生じた症状を祭司が律法に照らし「汚れ」に相当すると宣告し、また回復を認めました。続いて祭司は二羽の小鳥を用意させます。水の入った器に一羽の小鳥の血をたらし、その水を7度本人に振りかけて初めて清いと宣言しました。残りの一羽は野に放たれました。野に放たれた小鳥は「行きなさい」と言われたイエスの御言葉を象徴しています。(レビ記14章)私たちは汚れから、キリストの血により、きよめられました。律法の拘束から解かれて自由を得ました。

「あなたの信仰が」
 癒やされたのはイエスに願った10人全員です。しかし、真の解放と自由を得たのはサマリア人たったひとりです。9人との違いは、明確です。イエスの元に戻り、ひれ伏し神への感謝をささげた点にあります。自分の身の上に起きた出来事を、迷うことなく主イエスの御業だと信じました。他の9人はどうしたのでしょう。主イエスの御業だと認めなかったのでしょうか。

 正しい信仰は正しい結果を生み出します。信仰はその実によって知られるというのを示す出来事です。主イエスの身元に私たちも行きます。「安心して行きなさい」「立ち上がって行きなさい」と御言葉がかけられます。

 

 2025年12月21日(日) 第3主日 『主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざをやめないでください。』 詩篇138篇8節  神の作品には、途中で放置されたままのものはありません。太陽、月、星、植物、生き物に至る...